昭和末期のこどもの国線多客期編成

東急8000系を作るのに引っ張り出してくる本は電バスの「東急の電車たち」と保育社の「東急」です。今月発売になった鉄道ピクトリアルのアーカイブスセレクションは早速購入してきました。

こどもの国線は元々専用編成のデハ3405+クハ3866から始まり、昭和末期は7200系アルミ試作車の編成で、現在にいたるまで2両編成の運転が通常です。
GWなどの多客期は2両では捌ききれないため、大井町線の5両編成が充当されていました。昭和56年GWのとある日は、大井町線の5041F5連の編成が充当されていました。幕は上りも下りも「こどもの国」を出したままで、95運行が表示されています。


コチラは昭和58年(1983年)のGWです。やはり大井町線の車両で8003Fが充当されていました。方向幕は同じく「こどもの国」を出したままで、運番は149運行になっていました。長津田←→こどもの国のサボは出していなかったようです。非冷房の車内は暑かったようで窓は全開です。


専用の7200系が検査日だったりすると6000系の2連が充当されていまいした。特に休園日は6000系が多かった気がします。運番は当初は93、95運行辺りでしたが、田園都市、大井町線系統に列車無線が整備された昭和58年以降は大井町線識別のための100番代が追加され、元々の40番代に付加する割り当てでした。その後見直されこどもの国線の運番は180番代になりました。

細かいことには拘らず8000系のこどもの国編成に着手。

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