東急の小荷物輸送と荷物電車

小荷物輸送

宅配便が普及する以前の今から50年ほど前は、荷物を送るときは近くの駅へ荷物を持っていき、相手先の最寄り駅まで送り、相手方は着いた頃を見計らって駅へ取りに行くのが一般的でした。そのため、たいていどこの鉄道会社も荷物を運搬するための専用車両を所有していました。

木造デワ3041

東急には時期は異なりますが荷物電車が合計3両在籍していました。下の写真は初代の荷物電車で、木造国電の払い下げ車モニ13です。その後、小田急車のボディーに載せ替えられ活躍しましたが、小田急の車体であったため東急には似つかない顔つきでした。昭和56年に廃車になっています。

▲伊藤忠興氏撮影.元住吉車庫.

デワ3042

荷電時代の写真が見当たらないので代用です。デハ3200形を改造し登場したデワ3042です。繁忙期は小荷物の量が増えるためえ、3041形と連結して運用されることが多々ありヘッポコ工場長も子供の頃目撃したことがあります。
廃車後は東急車輌製造の入換、牽引車として活躍し、その際押し込み用に2個パンタ化されています。

デワ3043

鋼製車のデワ3041とデワ3042は写真が見つからないので割愛してデワ3043です。コチラは両運車デハ3498から改造され昭和56年から小荷物活躍しましたが、間もなく小荷物輸送廃止に伴いコチラもお役御免で昭和57年廃車となりました。

デワ3043

荷物電車としては廃車となったものの、長津田工場の入換車として活躍することとなり、「荷物」の文字を消しただけで面影を引き継いで活躍しました。

その後は旧塗装との表現もしがたい色になり、山側中央扉は両開きに改造され荷物電車時代より荷物電車らしい格好になりました。コレはこの3043が救援車を兼ねており車内には脱線復旧機材を積載しているため、ジャッキや復線器を出し入れしやすいようにこのような改造を受けました。

碑文谷工場のお話はコチラ

緑の電車去って30年はコチラ

小荷物切符(荷物発送の依頼)

冒頭にも書きましたが50年くらい前、もっと言えば宅配便が世間に浸透する40年位前までは、大きな荷物を送りたいときは駅へ持って行くのが一般的でした。駅では受託手荷物と言うことで、荷物用の小荷物切符を発券してくれます。この乗車券は4券片制になっていて乙片は荷物にくくりつける厚紙で出来た切符で両面に記載がされます。278、260の数字は切符の番号で両面とも同じ番号となりますが、説明用に2冊の切符を並べています。

▲左が表,右が裏面です.

依頼したお客さんには甲片を控えとしてくれます。コレはペラペラなあぶらとり紙のような薄い切符で、JR特急券の倍くらいの大きさです。

丙片は本社提出用で、丁片は駅控えになります。コチラは昭和57年10月5日に取り扱った小荷物切符の丁片(駅控え)になります。日付横の(ヨ)はマルヨの意味で荷物電車が行ってしまった後のため、翌日扱いという意味です。池上駅から相鉄線の相模大塚駅まで荷物の依頼があったようです。荷物は「お味噌」となっています。モザイクの箇所には電話番号と依頼主の名前が書いてありました。

コチラは武蔵新田駅から木次線の出雲横田駅と随分遠いところまで送った控えになります。ちなみに、小荷物輸送は昭和57年11月30日で廃止とり、この切符冊はこの後全て白紙のため、この荷物が武蔵新田駅で最後に取り扱った荷物になります。

デワに積載された荷物については、車両の起点方が汐留駅経由(東海道方面)、終点方が隅田川駅経由(東北方面)と車内で分けて積載され、渋谷駅、蒲田駅でそれぞれ国鉄の手小荷物扱所へ人力で運ばれていきました。
末期は国鉄への駅での取り卸しはなく田園調布駅、大岡山駅に併設された荷物ホームで取り卸し日通に委託され、拠点となる国鉄駅や連絡先となる社線集約駅へ運搬されましたが、切符からもわかる様に荷物の送り先は相変わらず個人宅ではなく、相手先の最寄り駅となっていました。ただし、配達料欄に記載がある場合は相手先の自宅に配達してくれますので、上の2枚は相手先の自宅へ届ける戸口扱いとなっています。