岳南へ

先日、マーボー堂師匠と岳南へ行ってきました。マーボー堂師匠とは一昨年くらいから「岳南行きましょう」っと言いながら時が経ち、ついには予想していなかった貨物廃止という事態にようやく重い腰が上がった感じになっちゃいました。

朝に着いたため久々に2連を見ました。来週末もお祭りがある関係で2連で走るとかポスターがありました。吉原駅に着くと、雨があがりまたまた曇り男の本領発揮となりました。

501の方が動いていたものの、貨物自体が少なかった日でして、残念ながら突放は遠くの方で1回見られただけでした。


あまりの寒さにマーボー堂師匠共々カラダの電池が切れかけてきました。食事を摂りながら場所を変え吉原本町駅に併設されている「岳南プラザ」へ行きました。

パソコンのプリンターで印刷されているせいか、中に展示してある写真は悲しい事になってました。


一通り見終え、帰りの東海道線に乗ると、7時間遅れでサンライズが通過していきました。

架線柱と周辺のお話-交流編・前編-

昨年の1月に直流鉄道の架線回りについて書きましたが、色々と反響と感想を頂きました。その後もメールなどで「交流もお願いします」と、リクエスト頂いて1年経っちゃいました。
そこで、2012年冬季講習として今回は交流区間について書いてみます。
不定期連載で、交流前編、後編、最近の直流設備の傾向、の3回に分け説明する予定です。
最初に、電気動作原理等は模型へのストラクチャー設置と応用を目的としているため、大雑把な理論としてわかりやすく説明しています。よってこの説明、原理ですべての事象が発生しているしているわけでは無い事をお断りしておきます。

まず、交流区間での電気の流れは、直流と同じように下の図のようなイメージを抱いている方が多いと思います。

上の図ではき電線は省略されていますが、直流の代わりに交流が流れているだけだから、おそらくこう思われている方が大半だとおもいます。
き電線については昨年のコチラを。
交流送電方式はBT方式とAT方式の2方式があり、大雑把に言えばAT方式は新幹線、BT方式は在来線と思ってください。しかし、AT方式が後から開発され技術的にも優れているため在来線でも後期の交流電化や新線交流区間では、AT方式が採用されています。鹿児島本線の八代~西鹿児島間や羽越線、奥羽本線の一部、TX等です。
在来線で代表的に採用されているBT方式の電気の流れは以下のようになります。

変電所回りとBTセクションの一部を略して書いてありますが、BTというのはブースタートランスの略語で、吸上トランスを指します。
変電所から出た電気は、架線を通り列車で消費されレールへ抜けるまでは直流と一緒ですが、BT付近で負き電線に吸い上げられここから変電所へ戻るルートを取っています。BTセクションも厳密には限流抵抗が入ってますが、今回はわかりにくくなるので省略します。
交流は東日本では50Hzと言う周波数の元送られていますが、単位がHzであることから分かるように音にもなり、電波にもなります。カラオケでマイクプラグがちゃんと刺さっていないときに、スピーカーから「ブーン」っと言う低いうなり音が小さく聞こえた経験あると思います。あれが50Hzの音なんです。古いラジオやテレビから同じような音を聞いた経験のある方もいらっしゃると思います。
東日本の交流鉄道事業者で言えば電力会社から50Hzに乗った電力を買い、自社設備で電圧のみを変換していますが、周波数はそのままです。実はレールからは地面へ常に電気が流れ出ていて、地面に交流電気が漏れ出すと様々な通信障害を起こします。その対策としてレールに帰線電流があまり流れないような構造にしてあります。
つまり、50Hzと言う電磁誘導作用を持つ電気が這いつくばり、鉄道施設物だけでなく、近接している住宅のテレビなどへ電波として飛び移りスピーカーから変な音が聞こえてきたりしてしまうと言うわけです。かなり大雑把な説明ですが、何となく分かって頂ければ結構です。
さて、BT方式の設備を見てみましょう。

架線構造は直流と同じシンプルカテナリーを採用しています。前回のコチラをご参照ください。直流ではき電線という物が2本並んでいましたが、交流区間では離隔の兼ね合いなどがあり上下別々に負き電線という物が上に設置されています。その脇には2本線の信号高配線が上下線別に2系統あります。直流区間での信号高配線は3本ありました。
負き電線は上のヘタクソな図にある通り変電所へ戻る帰線となります。
交流区間では電圧が20000Vと特高扱いであるため、事故電流が流れたときの対策として、上下線の架線柱を分けて単線架線柱にしたり、地絡導線という線で支持物碍子と負き電線を接続させています。
交流線区のレイアウトで架線も再現される場合、この地絡導線もポイントとなります。地絡導線は各架線柱毎に設置されていて、碍子と負き電線を結んでます。

模型の製作を考えると、カトーの複線架線柱は前回理に叶っていると書きましたが、単線架線柱を交流に応用する場合、トミックス、カトー共に今ひとつといった感じです。
次に、BTこと吸上トランス付近を見てみます。変圧柱のスパンを短くしたような形状で、真ん中に吸上トランスが設置されています。地形などの制約を受ける場合を除き、上下線別ほぼ同じ場所に約4km毎で設置されます。

この配線をがんばる方のために配線を説明すると、ヘタクソな絵の通りトランスの両端子が架線と負き電線に繋がっているだけです。電柱の両脇にある大きな碍子は避雷器です。
カトーは架線柱や橋梁は良い出来をしてますが、変圧柱についてはちょっとがっかりな出来でして、このBTを模型で再現するにはGM製変圧柱のスパンを短くし、附属している中で一番大きな変圧器を載せればそれらしくなると思います。

直流は1500V送電ですが、交流在来線は20000Vと高い電圧で送電しています。中学の理科で電気に仕事をさせる単位W(ワット)を習ったと思いますが、W=電圧✕電流です。つまり出力が同じモーターを回す場合、電圧が高いと電流は少なくてすみます。電流が少なければ、電線は細くてもすみます。そして交流送電は直流に比べて送電損失が少ないため変電所間隔を長くする事ができるメリットがあります。
首都圏の直流区間変電所間隔は5kmを標準とするのに対し、交流区間の変電所は30~40km間隔ですんでしまいます。
欠点も色々あり、負き電線などの離隔を取るため、トンネル断面積が大きくなるとか、BTがトランスであるため列車が近づくと独特の「ブーン」ッという唸り音を発し、住宅街などでは騒音の面でデメリットとなります。車両側の設備費がかかりすぎる、と言うのは皆様分かると思います。
不定期で続く・・・

台湾ジャカルタの旅-後編-

台北から一路ジャカルタへ!
香港経由のため一度香港で下ろされます。とは言ってもよくわからず、Jさんに付いていくだけですが、1時間ほどのフライトですが搭乗後早速昼食の機内食です。ビーフヌードルでした。

香港で一度下ろされ・・・

再び搭乗し、フライト後すぐに夕食の機内食。チキンライスを選びましたが、全くカラダを動かしておらず、喰ってばかりでそんなにお腹には入りませ。左上は豆腐かと思いご飯と一緒に食べたら、レモンチーズケーキでした(泣)

約5時間何もやる事もなく、疲れてきます。入国カードに記入しいよいよジャカルタに到着です。
ビザを購入し22時10分に入国手続きに並びましたが、ヘッポコの順番が来たのは23時15分過ぎ・・・しかし、ヘッポコの入国審査1分もかかりませんでした。Jさん曰くジャカルタでは日本人の審査は全く緩いそうです。

空港からホテルまでタクシーで約1時間。日付が変わりとりあえず寝ます。イスラム教徒の国でもあり朝3時半ごろ近くのモスクから朝のお祈りが聞こえてきまして、聞き入ってしまいコレで目が覚めたためホテルの近くを散歩しました。散歩の途中色々ありましたが、6時から朝食を摂り6時半出発でコタ駅へ向かいます。
曇り男の異名をもつヘッポコ工場長ですが、ジャカルタはスコール上がりの曇りです。ちなみに、台北も雨の予報でしたが、行く先々は雨が上がり曇りでした。
トランスジャカルタという公営バスでコタ駅に向かいます。バスは専用レーンを走ります。
乗り込んだバスはギュウギュウでしたが、独立記念塔とかを過ぎた辺りで半分くらい下車。

30分程でコタ駅に到着。駅前はものすごい露店ですが、Jさん曰く食い物は買うな!と言う事です。ナイキのマークが入ったヘッドホンとか売ってまして、JさんはベンツマークのTシャツ売っているのを見た事があるそうです。ナイキのヘッドホン買ってくればよかった・・・

ジャカルタは初めてでとにかくJさんに付いていくだけ。切符の購入も言葉がわからないため、すべてJさんにお任せ!
コタ駅の切符売り場です。照明はなく掲示板の明かりだけで薄暗いです。
いよいよ日本車に!



こちらは入換でやってきたディーゼル機関車。客車特急も牽引しますが、ツーサイクルエンジンのバイクみたいなエンジン音でちょっと不安になります。


現地車両はオープンドア!しかし屋根に人がいません・・・


屋根上の人、期待していましたが・・・
Jさんの翻訳によると「今年から屋根上に乗るなキャンペーン」が始まったとの事でした。駅には屋根上で感電して丸焦げになった死体の写真付きポスターも貼られており、ポスターには「あなたも屋根に乗るとこうなります」と書かれているそうです。


しかし、線路と道路は同じ感覚のようでこの辺はまだまだ変化せず残ると思います。駅では何も無いのにただ座っているだけや非合法露天など、一種の社交場と化してます。




鉄道の仕事はほとんどが人海戦術で行われています。楽しようという以前に、まだ機械類がそれほど普及してないんですね。50年前の日本の様です。

荷レが来ましたが、フォークやターレットも無くすべて人海戦術。

一通り電車の撮影が終わり、ボゴール駅へ向かいます。
途中駅では屋根に登れないよう、有刺鉄線とバリケードが設置されていました。

やっとこさで日本車の終点ボゴール駅に到着。車庫が併設されていました。途中駅止まりの色々な列車を乗り継いで来ましたが、最後に乗ったのは東急8007Fの8両編成で、側面に急行菊名行きが出てました。
駅間は4キロほどあり速度も100キロと快調な走りをしていて、東急時代よりもよく走っていたのでは無いかと思います。

05系の試運転がやってきました。

コタから折り返しで乗ったのは都営のクルマです。車内販売がひっきりなしにやってきますが、すべて非合法の営業。
飲み物や食べ物のほか、カチューシャや携帯カバーなど謎の販売も多いです。

一番の謎はボタン電池専門の販売です。乾電池はなくボタン電池のみで、ヘッポコは一番フレンドリーだったこの電池屋さんから走るバスコレに使えるマクセル製LR44を購入。
周りの現地人がゲラゲラ笑っているためJさんに聞くと、外国人が買うのが珍しいとの事でした。ちなみに、2個入りで50円ほどです。海外企業の下請け工場が多い街なので、電池も工場直販で安いそうです。

途中駅からは空いているドアの無い列車が来たのでコレに乗車しました。あのギュウギュウでは乗りたくありませんが、これなら安心です。
さっきの電池屋さんがドアのところに「腰掛けろ」とゲラゲラ笑ってまして、75キロほどのスピードでしたが、ヘッポコには無理です。
ボゴールまでは40キロほどで列車は日中30分おきです。行って帰ってくるともう15時過ぎで帰宅ラッシュも始まりかけました。
再びトランスジャカルタで帰宅しますが、市内はものすごい混雑です。

昼食を食べ損ねたのでちょっと早めの夕食を摂るため、Jさん行きつけのレストランへ。ちょっと前までスコールがあった様ですが、曇り男なのでヘッポコが降り立つ頃には上がりました。
白バイ、旗付きベンツ、SUV-PCと要人のクルマと思われます。

レストランに入りあこがれのコーラススが飲めました。コーラ+練乳のものすごく甘いコーラです。

このあとバーガーキングへ行くため、現地のうどんとシュウマイで軽く摂ります。


その後2人はお疲れで一足先にホテルへ。ヘッポコは街を探索に行きます。ここで3輪タクシーを撮っていたらみんなに声をかけられ、服を引っ張られ・・・どうも3輪タクシー乗り場だったらしく外国人カモ客と思われたようです。勿論すぐに逃げました。

そのほか近くのデパートにも入りましたが、あるフロアはイスラム教徒の洋服売り場があり、店員さんが不思議な顔でヘッポコをじっくり見てました。日本人は全く行く事の無い場所らしく店員さんも変に思っていた様です。とは後でJさんから聞きしりました。
散歩してもハラが減らないためコンビニに寄り、ホテルへ向かいます。またセブンイレブンです。

甘いジュース類しか売っていなく「りょくちゃ」とあったので、購入すると砂糖入りジャスミン茶でした。砂糖の入っていない物はジャカルタでは全く売っていません。水だけです。ブラックコーヒーを見つけたので購入しようとたら賞味期限は2006年でやめました。
バーガーキングへ行く元気がなく床につきます・・・

翌日はいよいよ帰宅です。12時間かけて・・・
機内食1食目の朝食です。パンは油っぽく中はパサパサのジャカルタ仕様。

香港で乗り換え機内食2食目の昼食。再びチキンライス。今度はレモンケーキと豆腐を間違えずに食後に食しました。

再度台湾で乗り換え「お魚か牛肉です」と聞かれ牛肉をチョイス。3食目の機内食で夕食です。パンはふっくらおいしい、日本寄りの仕上がりでした。チョコチップケーキはとてもおいしくお土産で売っていたら買いたいくらいでした。

映画も見飽きたのでフライト画面をずっとにらめっこです。

ジャカルタを出てから12時間10分で成田に到着しました。遅れて到着したため最終の成田エクスプレスに間に合うか冷や冷やしましたが、なんとか5分前にホームへ到着しました。帰りもG車で、寝ながら帰りました。

駆け足旅行でしたがどこ行っても面白かったです。おそらく年内にまた行くと思います。
最後までお読み頂ありがとうございました。