速度計測

たまにメールでも頂く内容ですが、先頭車ぢゃないのになんで速度
分かるの?っと。実は計算しているだけなんです。
ガタン、ガタンと規則正しいレールの継ぎ目は25mおきにやってき
ます。コレを利用して腕時計のストップウォッチで計ります。
ちなみに4回目のガタン、ガタンで100m走ったことになり、コレを
応用して信号機間の軌道回路長を測ったりもできます。
あとは学校で習った
距離÷時間=速度
に当てはめるだけですが、秒とかkm/hだったりなので変換が少々。。。
例えば
ガタン、ガタンの間隔が0.85秒の場合・・・
時間の単位を秒から時間に変換します。60秒×60分で1時間に変換。
0.85÷3600=0.00023611・・・
で、公式の距離÷時間=速度ということで25mレールをkm換算
に直して
0.025÷0.00023611=105.882・・・
となり時速105km/hとわかります。
ずれても精々2~3km/hの誤差です。
一覧表を作って持ち歩くのもOKかと。慣れれば覚えちゃいますが。
0.75秒=120km/h
0.8秒=112.5km/h
0.9秒=100km/h
1.0秒=90km/h
1.1秒=82km/h
1.2秒=75km/h
ロングレール区間がちょっと困りものですが、耳をそばだてるとかすか
に継ぎ目が分かる時があります。あとはリズム感覚を掴むだけですが、
加速中は計れません(^^;
また、長尺レールといい50mレールの区間もありますので、日頃から
25mレール区間のジョイント音を養っておくクセを付けておきましょう!
速度計
▲こういう車両ばかりだといいのですが
最初は運転台の後ろでメーターと睨めっこしながら計ってみてください。
そんなにずれてないのが分かります。(むしろメーターがあきらかにお
かしい電車もあります。)
更に応用すると目の前を走る列車にどこか目標を定め、通過する時間
を計測し20mや18mの車両長で割り戻すと目の前を走り行く列車の
速度も計測できます。
列車の旅が楽しくなりますよ♪

新旧気動車

昨日15日でヘッポコ鉄道は開業30周年を迎えました。お盆中でも仕
事だったので記念イベントはありませんです。
先日、zuppeさんから八高線竹沢駅の素敵な木造駅舎の写真を見せ
てもらい行ってみたくなり、そんな話から「八高駅舎巡りやりましょう」
となり、広島のOさんも来ている事から気動車の話題にもなりまして、
ヤマシタさんと4人で八高駅舎巡りしてきました。
朝イチ仕事だったヘッポコですが、時間のワガママを聞いて頂き集合
場所の飯能駅へレッドアローで向かう事にしました。お盆休みの始め
か、芝桜時期以来の混雑に遭遇しまた。
NRA
発車の10分くらい前に来て、車内清掃とかを行い3分前にドアが開き
結構忙しいダイヤの様です。特急改札口も改札待ちの人で混雑してま
した。
改札
ネットで前日に予約しておきましたが、発車15分前には結構座席が
売れていてビックリしました。
券売機
45分ほどで飯能駅に到着し、早速合流!日本セメントの専用線跡な
どを訪れてから越生駅へ向かいます。
越生駅
▲いい雰囲気です
越生
▲東武との共同使用駅でした
途中、キハ111の写真を撮りながら移動します。この緑と青空の中を
走るキハ111がすっかり気に入ってしまいました。
竹沢
八高
で、肝心な竹沢駅は・・・なんと、建て替えられていてカメラ向ける気に
もなりませんでした(-_-)
寄居駅に到着後、ここからはいつもの?ペアーハンズに行き先変更!
途中、保存中のカメ号にも寄って頂きまして、車内も撮影♪
カメ号
カメ号車内
▲こんな気動車でどこかに行ってみたいです
新旧の気動車を見てお腹イッパイになり、そしてまた飯能へもどり道
楽ぼーずへ!HOのタキ1900CTがありちょっと衝動買いしました。
当日は終電ギリまで飯能で夕食を摂り、ヤマシタさんと共に最終の上
りレッドアローで帰宅。
飯能案内盤
▲下り西武秩父と吾野行きは最終を表示
八高のキハ111はまりまして、本日これも購入しちゃいました。八高線
は200番台ですがその辺はヨシとします♪
キハ111
▲M車セットを2個です(^^;
本日の移動距離210km

あれから30年

先日のタイトルがあれから20年でしたが・・・
30年前の今日!1979年8月12日はヘッポコ工場長にとっては忘れ
る事の出来ない屈辱の日を送りました・・・それは田園都市線分断の日
でした。
それまでヘッポコの中の田園都市線と言えば、大井町-つきみ野間
を指し、やってくる車両は3000系から8500系まで殆どの車種がや
ってくる路線でした。
が、30年前の8月12日を境に路線は大井町-二子玉川園間に分断
されたうえに大井町線と改称され、田園都市線は二子玉川園-つき
み野間となり列車も当時の新玉川線と全列車直通となる運転系統の
変更が行われました。
5000系
▲大井町線の5000系 1981年撮影
おまけに車両は来る列車みな5000系で、たまに8000系がやってき
ても方向幕が手書きで「二子玉川園」と書かれた紙を貼っている状態
でした。それを見て支線路線に格下げの様な感覚を感じ、子供心にと
ても悲しかったのを覚えてます。
その頃はまだカメラを持ち歩きませんでしたが、当日朝、「二子玉川園」
という見慣れない行先の初電に乗り、二子玉川園駅に着くと田園都市
線側の線路はレール交換を終えたばかりで保線の人がイッパイ居た
のを覚えてます。
やってきた田園都市線8500系に乗り、つきみ野駅まで行って駅舎横
の公衆電話で家に電話を掛け家路に着きましたが、家のそばを走る列
車がつきみ野駅まで行かないというのを肌で感じてきました。
駅舎
▲今もあまり変わらない駅舎の右側に電話ボックスがありました
余談ですが、この頃はまだ小学生ですが既に「やまばと」に一人で乗
って山形にある親戚の家に行ったりしていたので、つきみ野は庭先み
たいなものでした(^^;
その後、田園都市線のつきみ野駅へは100キロですっ飛ばす快速電
車に乗り、何度となく足を運びました。
田園都市線を100キロで走る快速電車は新玉川線に入っても70キロ
くらいで快走し、乗るたびに「これぢゃぁ大井町線に格下げでも仕方な
いなぁ」と思うようになったのも覚えています。
つきみ野
▲終点だった頃のつきみ野駅は下りホームがまだ無い 1981年撮影
話は逸れましたが、あの悔しかった日から30年後は全く想像も出来
ませんでしたが、分断された大井町線は今年劇的進化を遂げ、溝の
口の方向幕を掲げて快走してます。
そして、また30年後は想像出来ないくらいスゴイ路線に成長していて
ほしいです。
溝の口