奥沢という街

奥沢について

奥沢の由来

住居表示では世田谷区奥沢となり、等々力駅付近までが奥沢となります。その昔、玉川村からみて奥地で沢が入り組んでいたから付いた地名と言われていますが諸説あります。
奥沢に接して、田園調布、自由が丘、緑が丘、等々力とあり高級住宅街の様相を呈しています。奥沢の駅は奥沢3丁目になります。家は高級ではありませんでしたが、ヘッポコ工場長も生まれてからこの地域に何十年も住んでいたため、とても愛着のある地域です。


鉄道としては、奥沢駅が目黒蒲田電鉄創業時から開業しており、当時は工場を備えた車庫が設置されていました。目蒲線時代までは検車区が置かれていましたが、目黒線になってからは留置線のみとなり、近隣にある大井町線の自由が丘と同じような感じです。

街並み

隣接する自由が丘や、緑が丘は道路が碁盤の目状になっており早くから区画整理がされていました。ただ、奥沢は区画整理組合方式ではなく、地主さんが自ら区画整理を実施しました。

高級住宅地の部類に入る奥沢ですが、近年は田園調布と同じように相続の際土地を切り売りして小さな家を建てることが増えてきています。ジオコレの狭小住宅を少し大きくしたような作りの家です。

ジオコレでこんなのも出してもらいたいです。ココも1軒だったところが3軒になっています。

ちょっと離れた場所になりますが、このようなお蔵が残っている家もあります。レイアウトの中で、KATOの住宅でもGMやジオコレのお蔵を組み入れても大丈夫そうです。

勿論周りの家は全て近代仕様です。

奥沢海軍村

奥沢は2丁目を中心として、大正末期から昭和の初めに海軍の軍人さんが多く住み始め奥沢海軍村と呼ばれていました。海軍省のある虎ノ門と軍港の横須賀どちらにも行きやすく、都心より土地の値段が安いというのが理由でした。現在は石碑がひっそりと植わっています。

人が住んでいる家にカメラを向けるのもアレですが、広い敷地に昭和初めの洋館らしい作りの家が今でも残っています。

家は玄関前にポーチが設置されている家が多数あります。

ヘッポコ工場長が子供の頃は、もっと沢山このような家があり同級生の家でこう言う家もありました。この手のガラスは最近の量販サッシ屋さんではウデがなく、職人さんを探すのも大変だそうです。

芸能人・著名人の街

奥沢とその周りの地区も含めて多数の芸能人や著名人、財界人が住んでいます。徒歩圏でかなりのそれらの家を回ることが出来ます。ヘッポコ工場長も同級生の親御さんが芸能人だったり、有名な方だったりしました。
レイアウトの中に、有名人の家を設定してもおもしろいかもしれません。プロトタイプとなっている鉄道があれば、鉄道むすめの家を設定しちゃうとかありかもしれません。

コチラは高田純次さんの家です。ヘッポコ工場長が以前住んでいた家の前で、家族連れで酔っ払っている高田純次さんに話しかけられたことがありました。

事務所を兼ねています。普通に考えれば節税のために自宅は事務所にしちゃいますね。直ぐご近所さんに荒川静香さんの家もあります。

奥沢から徒歩圏内で、コチラは竹内力さんの家です。新築ではありませんが、元々大使館だった住宅を購入されています。

オブジェがスゴイです。

タケウチとローマ字で表札があります。この近くには八代亜紀さんの家やYMOのドラマー高橋幸広さんが以前住んでいた家など沢山芸能人の家があります。

レイアウトに家を並べるだけではなく、1軒1軒にストーリーを持たせると妄想的にも楽しくなりそうです。

逗子留置線【横須賀線】

東急ネタが続いたので、今回は横須賀線です。

逗子留置線

横須賀線逗子駅には増結編成の留置線があります。4両編成が沢山留置されていて、模型向きな規模で個人的にはお気に入りです。

朝間時はラッシュで車両が出払っているため、留置車両も少なくなります。少し前まではE217系オンリーでしたが、最近はE235系1000番台が混ざるようになってきました。

今から1998年頃の逗子留置線には、かろうじて113系が残っていることがありました。上の写真とほぼ同じアングルです。あと2年もすると、逆にE217系がこう言う状態になると思います。

拡大してみると方向幕は「横須賀線」と表示されています。別アングルの写真では、この後にも113系が居るのがわかります。共に1000’番台です。

写っているE217系は更新前の旧塗装で、コレはコレで少し懐かしい感じです。

ニャジラ

ニャジラ君はココ2ヶ月ほどは通院もなく元気に過ごしています。最近は、キャリングケージを出すとお出かけできると思って上に乗って待っていたりします。中に入ってくれれば良いのですが・・・型を維持する針金が弱くなっちゃってます。

自由が丘検車区跡

自由が丘留置線

現在大井町線の自由が丘には留置線が1線だけあります。ちょっと前までは3線ありましたが、現在は寂しい1線です。大井町線の都内側で夜間帯駅留置以外だと定常留置となっているのは自由が丘だけです。遮断機の位置が線路よりかなり後退していますがかつては工場と検車区がありました。

ポイントは模型再現泣かせの次世代タイプと言われるものが設置されています。枕木は端枕木、電気転てつ機も模型ではないタイプです。

以前にも写真を出してますが、かつての検車区時代を彷彿させる配線が残っていました。この時点では4線ですが、中型車6両編成時代のため2線しか実質使用できませんでした。

もう少し前の時代になると5線分留置線がありました。この時代は4両編成だあったため全ての留置線が使用できました。かつては8500系が止まっている左側に検車庫がありました。

検車区の面影

上の写真で8500系の脇にあった検車庫の箇所は、東急関連のレンタカー会社になっていいて、このようにコンクリートピットをそのまま埋めた跡が残っていました。

もっと線路側へ行くとこのようにコンクリートのタタキと、レール、ガードレールが見えていました。

車庫跡地

1線を残した車庫跡地の現在は、トレインチという商業施設になっています。トレインのお家という造語だそうです。