逗子の専用線-中編-

トンネルを抜けると、池子の森と呼ばれる地区に抜け、横には京急逗子線が並走しています。線路は出口を出た場所で2線に分岐しています。平行する道路などがないため、踏切から望遠で覗いてみますが、分岐箇所はよくわかりません。

写真左側の線路には車輪止めが設置されているのがわかります。

10年前の写真と比べる、車輪止めの位置が変わっています。上の写真と比べると後ろの植栽も随分育っています。

踏切名称をみると京急の神武寺第1踏切となっていますが、専用線側には警報機と遮断機は付いていません。

以前は踏切から先は米軍の目が光っていたため、コチラ側から撮る事は困難でしたが、現在は池子の森が日本に返還されているため、問題なく撮影できます。

ただ、甲種輸送がある日はこの辺で撮ると、総合車両製作所の警備員に注意されるかもしれません。

以前は、踏切を渡った先に住宅地エリアに入るゲートがありました。右側の車線にはタイヤ裁断機が見えます。住宅地ですが、基地並みのものものしさでした。

一部の土地が日本に返還されたため、以前この場所にあったゲートは移転して、中に入れるようになりました。この道路もかつての専用線跡です。

上の写真で、真っ正面付近のこんな場所からも撮影できます。左の鋼材でできた現代建築のようなところが米軍のゲートになっています。この先の専用線廃線レポートはまたいずれ番外編として。

再び踏切に目をやり、コチラの踏切も舗装止めがない簡単仕様です。だいぶ踏み固められていて、砕石は細粒化しています。

車両を留置するエリアはフェンスで覆われています。フェンス内では、2線が合流する前にもう1線が分岐しています。

搬出入の車両があるときは、警備員が門扉の前で警備しています。最近は、甲種輸送時の撮影は禁止になっています。

神武寺駅のホームに留置線がかかっています。留置線は機回しができる構造になっていて、再び2線は渡り線で接続されています。

車両を留置するときは基地側の線路に留置するようです。

基地側の線路はそのまま車止めで行き止まりとなり、京急側の線路がそのまま京急の本線と接続する構造です。

以前は、この付近から基地側に線路が分岐していて、そちらに車両が留置されていました。昔の弾薬庫へ行く線路そのものでした。現在この付近は歩道付きの広い道路になっています。

平成に入ってから池子が米軍住宅地に改良される際配線が変わりましたが、かつてはこのような地形でした。上の写真で見える木造の建物の付近で線路が終わっていましたが、最盛期はもっと奥まで線路がありました。

▲出展:国土地理院空中写真 昭和58年撮影 CKT831

現在は、線路は2線平行に敷設され、基地側の線路は第二種車止めで終わっています。

京急と接続する側は再び門扉で締め切られています。

京急側は電化区間となるため、架線が張られています。架線は門扉の前でラット柱で引き止めされていて、さらにその手前に架線終端標識が設置されています。京急側は軌道回路が生きているため、列車停止標識も設置されています。

ココから京急側への信号機はありませんが、本線へ出るには出発信号機が設置されています。

門扉と列車停止標識の真ん中くらいに境界区分があります。

神武寺駅ホーム裏手を通り、この先本線に合流します。牽引車の7200系が回送車の後部に連結される理由がわかります。先頭が電車だと非電化区間に進入してエライことになりますからね。

基地側にあった線路はそのまま基地内に残っているので、ネットフェンスの内側になっています。

神武寺駅は構内踏切により上下線を行き来します。跨線橋のようなものを設置すると、上から米軍エリアを見渡せるようになるため政治的な理由があるかもしれません。奥に見えるのは米軍専用口です。

専用線は基地へ行く改札の前を構内踏切で横切ります。

改札を出るところまではいけそうですが、その先米軍のゲートがあるため、先に進むことはできません。きっと不法入国で射殺されると思います。

この先京急本線に合流します。出発信号機の手前には車輪止めが設置されています。出発の信号機手前から列車停止標識までは3RTと言う軌道回路が設定されています。

-つづく-

逗子の専用線-前編-

逗子駅から池子(神武寺駅)を通り、金沢八景駅へ至る総合車両製作所の専用線を、模型の参考のために以前から観察を続けていて、まとめてみました。コロナ禍で出かけられないから近場をうろついているだけというのもありますが。

ここの戸籍は入り組んでいて、模型にはあまり関係ないですが、大雑把に書くと、近年まで弾薬庫へつながる軍用線であったため、その昔は日本海軍の専用線でした。海軍航空廠と軍需部が線路を持ち、入り組んだ谷戸に設けられた倉庫などの施設へそれぞれ引込線が敷かれ、池子の山の中に点在していました。戦後も米軍が使用し、朝鮮戦争の時は様々な物資がココから運び出されました。現在は、京浜急行、総合車両製作所(旧東急車輌製造)、財務省が所管する専用鉄道になっています。

▲線路沿いにある旧防衛庁の境界杭でしょうか?

スタートは逗子駅下り2番線の延長上、専用着発線の先から始まります。手前側が逗子駅で、この先に0キロポストがあります。

左側にある0キロポストが専用線のスタートです。JR側へは左側にある71Lという入換標識の現示で進行できますが、専用線側は非連動のため、打ち合わせをして進行開始します。

0キロポストは新しめです。

0キロポストの箇所には管理区分標もあります。この先米軍管理であることを示しています。反対側はJR東日本となっています。

横須賀線に現存する第4種踏切(警報機、遮断機なし)の「山の根踏切」も共用で使用しています。

ヘロヘロレールが横須賀線の線路沿いに伸びていきます。ココから1.3キロほど米軍管理区域を進みます。

線路諸標が見当たらないのでよくわかりませんが、ぱっと見、R=200ほどの曲線で横須賀線本線から離れていきます。

曲線を抜けると第4種踏切「山の根第2踏切」を通ります。奥に京急の架道橋がみえます。

最近、踏切注意柵や警標類が新しいものに交換されています。

踏切舗装も打ち直しされ、砕石も新しいものが部分的に投入されて、お金をかけている感じです。舗装止めはなく、端部は舗装がぶっつり切れています。この20m程先に赤道(あかみち)があります。

ココは赤道(あかみち)で線路を越えることができます。人家の庭先を歩く感じです。赤道は勝手踏切などと呼ばれていますが、元々道路だったところに無理矢理線路を通したりすると、こういうのが残ってしまいます。

反対側に出るとこんな感じです。ランドセル背負ったこどもも普通に線路渡っていました。1ヶ月に1度列車が通るか通らないか程度ですからね。

車両が通るときはこのようにガードマンを配置して、万全を期している感じです。

赤道踏切から県道側を見るとこんな感じです。

反対側はトンネルがぽっかりと口を開けています。まん丸の山に単線トンネル、模型のトンネルみたいです。

トンネルは馬蹄形式、延長155mの池子トンネルです。

近寄りがたい雰囲気が出ています。アメリカだったら、むやみ近寄ると射殺されるかもしれません。ロサンゼルスで車庫撮っていたら銃を持った警備員できましたし。
アメリカの鉄道取材で有名な佐々木也寸志さんとお話しししたとき、6人くらいの警察官に囲まれて銃を突きつけられそうになったこともあったとか。ココは日本でよかったです。

当然トンネルを歩くわけにも行かず、望遠でのぞき込むと出口で線路が分岐しているのが見えました。

-つづく-

鉄コレ東急3450形Aセット-その5-

IPAに浸けおきし、塗膜剥がしにかかります。ニャジラがいるとIPAいじれないので、いない合間をみてからの作業開始です。クハについては後で考えます。

とは言え、ニャジラはすっかり元気になり走り回るようになりました。動物病院で脚の診察のついでに年1回の混合ワクチンも接種します。抗生物質、インターフェロンといつもは注射2本ですが、ワクチンの3本目の時はさすがにストレスなのか、「ニャァッッ」っと怒って先生をひっかいてしまいました(滝汗)

帰りは機嫌が悪いのかと思いましたが、ご覧の通りお子様座りで景色を楽しんでいました。チャイルドシートならぬ、ペットシートってあるんですかね?