金沢八景駅

京浜急行金沢八景駅橋上駅舎化完了

金沢八景駅ホーム

京浜急行金沢八景駅が再開発の一環で、今年1月に橋上駅舎化されました。そして、いよいよ明日その一番の目的である金沢シーサイドラインが延伸開業します。

旧改札

旧改札は築堤上のホームなので、改札は階段を下りた半地下構造になって居ました。現在は閉鎖され、エレベータからの行き来が出来るだけの改札となっております。

金沢八景駅改札

改札内は広いコンコースがあります。

エスカレータ

改札は駅ビル内のエスカレータを利用して3階まで行く必要があります。今までは築堤下の改札から階段を上がるだけでしたが、今度は上がって降りてで、電車に乗るまで少しロスタイムが増えました。

改札へ向かう駅ビルの入口。電車の下に見える地下道が以前の改札口です。駅ビル入口のドア辺りは元々公衆便所がありました。

橋上駅舎化なる前の金沢八景駅です。良い雰囲気の駅前でした。

同じ場所で写真撮ったらなんだかよくわからなかったので引きアングルです。旧駅舎の写真を撮った場所は、この写真左側に小さく写っているお年寄りが居る辺りになります。

今まで道路だった場所に移転と思われる建物が建設中です。

金沢八景駅

駅の西側も狭い地下道を通り抜けた先も狭い道路でしたが、公園などが整備され明るい駅前道路になります。

金沢シーサイドライン明日延伸

金沢シーサイドライン

そして今回の橋上駅舎化の目玉は、金沢シーサイドラインの金沢八景駅への乗り入れ延伸です。今までは国道16号線の先に仮設駅がありましたが、今回構想から30年経って漸く延伸開業となります。
駅は当面片線使用となりますが来年度には車両が2編成増備され、新駅も複線本開業となります。

トレーラーコレクション第9弾その2

残りの箱も開けてみました。

日野プロフィア

日野プロフィア1

日野プロフィアのトラクターは2車種入っています。前回に続きコチラは日本梱包運輸倉庫カラーのキャリアカーで、キャリアカーは建機用のモノが出ていましたが、普通自動車用のは今回が初めてです。

日野プロフィアキャリアカー

キャリアカーの後輪は接着されていて回転しません。トレコレの走行装置は今後10年くらいは出てこなさそうなのでこのままでも問題ないでしょう。

日野スーパードルフィンプロフィア

日野スーパードルフィンプロフィア

時代的には若干前になりますが、コチラもキャリアカーです。特に運送屋さんの設定は無いようで色々使えそうです。

日野スーパードルフィンプロフィア

キャリアカーの部分はプロフィアと同じ作りです。

当然自動車を積むことが出来ます。トミカタウンのようにカーディーラーがストラクチャーとして出てくれると新車の取り降ろしシーンなんか出来そうです。

日野スーパードルフィンプロフィア

上段の車路はツメで引っかかっているだけなので、ドライバーなどで広げるとこの様になります。

日野スーパードルフィンプロフィア

こういう事をしたくなります・・・病気ですね

緑の電車去って30年その6-東急旧3000系-

3000系譲渡車たち

既に過去帳入りですが地方に譲渡された3000系のウチ、写真が出てきているモノをご紹介します。

上田交通(現上田電鉄)

上田交通のデハ3300形です。後方のクハとセットで譲渡されましたが、クハは代替わりしています。当時、上田交通の担当者が池上線を爆走する3300形を気に入り、譲受を希望したそうですが車体が重すぎて中塩田駅より先の勾配が上れず、上田~中塩田駅間の専用列車になったとか。池上線では3Mで編成組んでいたので爆走が印象に付いたと思われます。
パワーが低く、朝間区間列車専用と言うことで使い勝手は悪かったようですが、大学前駅までの学生輸送に区間運転として効率的に貢献していました。

弘南鉄道

弘南鉄道へは数多く譲渡車があり、3600形など全金更新車が多く譲渡されています。車番などはほぼそのままだったと記憶しています。

弘南デハ3600

デハ3600は貫通扉が埋められて独特な顔付きになっています。上田交通とは違ってコチラは1M2Tの編成にもかかわらず、余裕の走りっぷりでした。現在の弘南には貴重な6000系も行っていて今後が注目されます。

十和田観光電鉄

コチラは青森県の十和田観光電鉄です。デハ3800形が2両とも譲渡されるなど貴重な車両も行っていました。十鉄オリジナル車両と肩を並べて軽快に走っていましたが、コチラも既に過去帳入りです。

デハ3603は平成に入ってから譲渡された車両で、元はデハ3650形の3655です。譲渡時は十鉄カラーでしたが、ファン有志の意向もあり引退時に緑色に復活塗装されました。

室内は懐かしい感じが残っていました。

目蒲・池上線から引退して直ぐ、クハ3861とデハ3655が一緒に譲渡されました。緑の電車が営業運転を終えた時に引き取り手があったのは、このデハ3655とクハ3861が唯一でした。

最後に

何でも無い日常に普通にいた東急3000系たち。30年経つと電車はおろか、この写真の電鐘式踏切警報機や、遮断機の無い人道踏切、そしてこの線路も地下化工事により無くなってしまいました。
日常を記録して模型に残す事が出来ればと常日頃思っています。

6回までご笑覧頂きありがとうございました。

緑の電車去って30年-おわり-