塗装待ちの模型ばかりで、塗装出来る時に限って雨です。ということ
で、またショボイ写真ですが昔ネタを。
踊り子の車掌さんが殴られたというニュースがありましたが・・・
今から25年前の1983年夏~秋にかけて伊豆方面の踊り子号はと
んでもない事になってました。
特に7月末からは14系ハザによる客車踊り子号、8月のお盆シーズ
ンに南局のスロ81系による「お座敷踊り子」と、そして10月には「サロ
ン踊り子」と臨時踊り子を出して伊豆方面は大盛況という状況でした・・・
ホントか!?
14系ハザによる踊り子号に乗車して伊豆へいきました・・・が、14系
は「つばさ」や「津軽」で何度か乗車していて「いつでも乗れるや」と思
い、乗車写真は全く撮っていなかったです。
▲安いISO100フィルムのためブレてます・・・
そして、14系客車踊り子に乗車の翌々週、今度は是非とも乗ってみ
たかった「お座敷踊り子」に念願叶い乗車し、下田まで行った時のレ
ポです。東京駅で撮った写真もありましたが、最終銀河の様にヒトし
か写ってません(汗)当時、ゴハチが引く客車が珍しくなっていた時期
で、東京駅は大混雑でした。
しかし、終着の伊豆急下田駅はマッタリモードでした。
▲伊豆急下田に到着したお座敷踊り子号
全席座席(座敷?)指定の車内は満席の割には比較的マッタリです。
車内ではサクラカラーの24枚撮りフィルムが乗客1人につき1本!
をお土産で配布する大サービスでした。
▲「本日満席」と放送していた割には空席がありました
この時後ろ側に座っていた年輩マニアの方が「鉄道ダイヤ情報」を持
っていて、中を見せて頂きビックリ!この時DJ誌を初めて知りました。
この頃からJT関連の運転情報などが「鉄道ファン」にも載り始め、写真
を撮るには素晴らしい環境が整いつつありました。
もっとも、この数年後には「国鉄局報」が普通に買える事を知り、友達
と割り勘で買いはじめましが、局報が一般人でも買える事自体天国で
した。
各客車は東京下町の各地名が車両ごとに愛称として付いていて、ヘッ
ポコ工場長が乗車したのは「花川戸」という車両です。愛称名表示は
客室とデッキ間の仕切壁に、まるで旅館の行灯みたいに付いて格好
良かったです。
▲風情を感じました
客室天井には木製の彫刻飾りがあり、車内は旅館を意識した造りにな
ってました。ただ、コレが何個あり各客車で違っていたか?とかを調査
して無い事に今気が付きました(-_-;
▲雷門の彫刻です
車内のクーラーがメチャメチャ効きすぎて寒かったのを覚えてます。
東京駅発車直後は展望デッキがメチャ混みでしたが、小田原を過ぎ
る辺りでは誰もいなくなっていて、日向ぼっこがてら眺めてるとEF60
牽引の上り貨物とすれ違いました。
▲当時配属のあった沼津か浜松あたりのEF60だと思います
列車名称サボも付いてましたが、かなり新品に見えたのでこのお座敷
用に新製したのかもしれません。
▲183系踊り子のサボと仕様は共通でした
行き先サボはお座敷特製でして、真ん中にヨットの絵があったりして
遊び心満点です!当時、無謀にも模型でお座敷踊り子号を再現しよ
うとしてサボ類も撮っていました。
今の様にパソコンでサボとか作れる時代ぢゃありませんでしたが、ネ
ガラッシュから縮尺を換算して、サボを作る技術は得ていたのでこの
ような写真ばかり撮ってました。
▲国鉄らしくないサボでした
さて、伊豆急下田についてもやる事もなく、見るモノも無く、帰路に着
きます。ただ、この時残念なのはお座敷踊り子号の乗車券をもらう事
が出来なかった事です。特に私鉄系は乗車券を記念に欲しいと言っ
ても「ガキ」相手ではくれず、伊豆急下田の駅員さんも同じでして、着
札として回収されてしまいました。国鉄の場合、ほぼ9割はくれました。
そんな事もあり、サッサと退散して伊東駅でもうじき置き換えと噂の
あった183系踊り子などを見ながら帰宅となりました。
▲置き換えが進む当時の踊り子号
この頃の踊り子が一番バリエーションが多いというか、趣味的に楽しか
ったです。