逗子の専用線-後編-

神武寺駅に到着した搬出車両は、この辺踏切付近に後部車がくるように止まり、後部の電車動力車を切り離します。以前は、神武寺の駅員さんに言えば終電後に入れてもらえましたが、今はたぶん無理ですね。昭和の後期、伊豆急リゾート21搬出時の様子です。後部動力車はなつかしのモニ101です。

専用線は神武寺駅の先で、京急線と合流し金沢八景駅へ向かいます。

教科書通りと言うか、11番転てつ機と言う分岐器で京急の上り線路と合流します。京急の線路が広いのがよくわかります。

延々と3線軌条が続きます。京急の線路はロングレールですが、狭軌部分は定尺レールになっています。この辺は、京急田浦付近と並んでかなり山の深いところを走ります。

六浦駅は回送車がホームを擦らないよう、無てっ差分岐器でホームより遠いところを通るようになっています。

てっ差(クロッシング部分)か無いので、無てっ差分岐器です。

そのまま金沢八景駅をとおります。

駅を出ると広軌線路は分岐器になっていますが、狭軌線路は総合車両製作所方面へ曲がっていきます。

保線基地の手前から工場の方へ分岐していきます。転換器は矢羽根付き転換器です。反位のままになっていました。

遮断機も警報器もない踏切を横切ります。

ココの踏切、搬出時今は撮影できるのかはわかりません。

交通標識とこの踏切警標でかろうじて踏切であることがわかります。

この先工場内へ引き込まれていきます。丁度、気笛と共に牽引車が出てきました。

この先カメラを構えて近づくと怒られるので、ココから見るにとどめます。

そして、工場内に引き込まれて、専用線は終わりますが、ココから左に曲がる線路は海軍の工場時代にも存在していたようです。東急5050系と横浜高速Y500系が写っていますが、東急車輌最末期に工場開放がありました。もうこの先こんなイベントはないでしょうね。

ちなみに、画像がひどいですが、左に分岐した線路の先はこんな感じ曲線を描きながら工場内に引き込まれています。分岐した線路は写っている線路の裏側になります。ちなみに、この車両は中国・天津の市営地下鉄で昭和末期の撮影です。

怪しい雰囲気がそそられるこの専用線ですが、どこかを切り取ってモジュールにはしたいと思っています。この先、かつての禁断エリアについては、歴史的な背景も踏まえて番外編として次回に。

-おわり-