3週間ほど前に、角地一戸建てを購入したT君より『武蔵小杉1号踏切道が廃止になります』」と連絡を受け、6月27日廃止前日に記録しに行ってきました。
武蔵小杉1号踏切道は目黒線の武蔵小杉~元住吉間にあり、場所的には元住吉駅至近になります。以前は東横線の踏切でしたが、東横線は高架になってしまったため目黒線と入出庫の東横線が走行しています。
ココの踏切警報機に列車を撮影する撮り鉄がよじ登り有名になったことがあります。アレ以降東急は厳しくなった感じがします。上り武蔵小杉方面に向かう急行西高島平行きが通過中です。
武蔵小杉まで一直線で勾配を上がると武蔵小杉駅です。
コチラ下り方向です。
コチラも勾配を上がると元住吉駅で、分岐する線路は車庫へ行く線路です。東横線の元住吉駅は待避線があるため、場内進路、出発進路が設置されていますが、目黒線においてはココに連動装置がある関係で、上り線は出発進路のみ、下り線は場内進路のみの変則設定になっています。強いて言えば元住吉車庫信号所とでもいうのでしょうか。ダイヤ上にその記載はありません。
なぜ踏切が廃止なのかというと道路低下による立体交差化で、数少ない東急の踏切としては長時間遮断の分類に入る踏切です。道路部分については先行して3月末に供用を開始しています。この道路は刈宿小田中線という道路で、綱島街道から川崎市中央部や港北方面への抜け道としても使われているため朝はかなり渋滞が激しくなります。
コチラは、上の写真の25年前です。狭苦しい道路で歩行者は恐る恐る道路を歩いていました。都市計画決定された道路は幅員が広がるため両サイドの家は買収されてしまいました。ちなみに、画面右に緑色の看板がありますが、不動産屋さんの看板で、だいたい都市計画道路の買収ラインにお店構えますよねww
ハイエースをはじめ踏切を待つクルマも懐かしいです。
トンネルは木月トンネルと命名されました。トンネル自体は東横線高架化工事の際、同時期に掘削構築され15年ほど地中に埋まったままでした。春日三球・照代の漫才ではありませんが、先にトンネルを掘って埋めてあり、後でトンネルが「あったあった」と叫んだかは知りません。漫才では地下鉄ですがね。
踏切は6月27日の最終列車後に廃止となりましたが、実質はこの撮影した27日が最終日でしょうか。奇しくも東急株式会社株主総会の帰りでした。
次回は閉鎖された踏切と25年前の写真を対ししてレポートしたいと思います。