東急 暮らしと街の文化【後編】

普段は宮崎台の博物館に展示されている模型ですが、ガラスケースではなく近くで見られるのがいいです。開通当日の目黒駅の模型です。

駅舎は本社を兼ねた建物で、駅前では開通を祝う万国旗でにぎわっています。

コチラは地上蒲田駅の模型で、旧目蒲線と池上線が単線並列に改良されたころの様子です。それ以前は旧目蒲線と池上線は直角に駅が設置されていました。

戦後のバラック駅舎と揶揄されていた頃です。

模型のほかに記念乗車券や資料類の展示もあります。懐かしい記念乗車券がありました。コレをみると頭の中にゴダイゴのビューティフルネームがかかります。国際児童年でNHKで毎朝流れていた記憶があります。

このシール、我が家では先日引っ越しの際に大量に出てきました。自由が丘駅の定期売り場で購入した記憶があります。当時の定期売り場は今エトモ側の改札口がある場所に設置されていました。

駅員さんセットもあります。

コチラも博物館にある高津駅のセットにあるヤツでしょうか。

つくし野、すずかけ台がないため長津田延伸直後の頃でしょうか。

コチラは沿線案内の展示が多数ですが、昭和初期の市が尾付近のハイキングのパンフレットです。ハイキングというより藪の中を歩く感じです。

貴重な内部資料でしょうか。新玉川線の線形が描かれ、中は試運転ダイヤが書かれているようです。

新玉川線の建設図面もありました。コレをみると時間のかかるシールド区間は2期工事からスタートしたのがわかります。

駅名はすべて仮称で、「大橋池尻」と今と逆です。

バス関連のものも展示されていました。

この先は貴重な動画などが流れている撮影禁止エリアとなり、撮影はココまでです。腹も減ったので館内のレストランで食事しようと思いましたが、コース料理のある本格的レストランや、ランチでも目ん玉飛び出る価格なので、美術館向い側にある世田谷市場の食堂で食事することにします。

マルシェという食堂で、入口にも市場関係者出ない人も大歓迎と書かれています。

決して安いわけではありませんが、世田谷の真ん中ではリーズナボーです。

昼どきを過ぎていたので、市場関係者が数人いるだけでした。

時間が遅かったので小鉢類は少ししかありませんでしたが、自分定食を作ることもできます。

厚い切り身のお刺身もありました。

アルコールもあります。

お刺身に、盛り合わせ定食、ビールは334mlの小瓶ですが2本頂きました。

帰りは環八側にでて、田園調布駅行きのバスで帰宅しました。

東急 暮らしと街の文化【前編】

昨年から世田谷美術館で開催されている「東急 暮らしと街の文化」の展示会に行ってきました。前期と後期で展示が変わるとTさんから最近聞き、もっと早く行っておけばよかったとおもいました。

交通の便が不便な場所で、最寄り駅の用賀駅から徒歩だと約17分となっています。とりあえず用賀駅を目指しました。用賀駅は副駅名がついています。

駅上の世田谷ビジネススクエアに入っているGMOがその副駅名の名称になっています。

この建物は東急が建てた28階建てのオフィスビルで、元々は玉電の留置線が設置されていました。留置線の有効長かなり長く2線あり、そのほか砕石や大谷石などの資材のストックヤードだった場所で、たいていはデト3031が留置されていました。新玉川線建設時も資材置き場として活躍しています。

美術館までは1時間に1本程度美術館行きのバスが走っているためそれに乗って向かいます。やってっ来たのはリエッセでした。

乗客は10人いないくらいです。

15分ほどで終点の美術館に到着です。

乗客は0人で再び用賀駅へ向けて出発していきました。

砧公園の横をかすめて世田谷美術館へ向かいます。

1400円の入館料を支払い中へ入ります。入口で撮影禁止場所の説明があります。

渋谷の東急百貨店東横店を解体する時に出てきた玉電のレールだそうです。

サビサビで何十年も百貨店の店内に埋まっていたのはすごいですね。場所の平面図とか、発見された時の写真があればなおよかった気がします。

さらに行くと台車の模型が置かれています。博物館にあるものですが、ガラスなど反射物がなく記録できるのがいいです。

コチラは旧5000系ですね。

旧7000系のPⅢ台車もありますが、普通の?TS8◯◯とかも見たかったです。

東急の制服がズラリ!緑色のが東急らしくいいですね。森英恵さんのデザインでしたっけ?

資料展示エリアへ進みます。

−つづく−

第101回箱根駅伝の車両(2025)【後編】

3号車は例年通り機材リース会社のさがみエンジニアリングです。ジャイロキャムが後方をしっかり捉えています。

コチラはNHKラジオ第一放送の中継車ですが、実況自体は日テレの映像を見ながら東京の放送局から流しているのが実情です。ナンバーは第一放送の周波数と同じ594になっています。

カメラの類は一切ないですね。

コチラは中継2号車で、固定されたジャイロキャムが沢山載せられています。映像スタッフは余計な光の反射などが起きないよう、黒づくめに徹底されています。

しかし寒いんでしょうね。

コチラは中継4号車で、ハンディキャムによる中継です。腕の筋肉を相当鍛えないとできない仕事です。

バイク隊は機動力がある反面、乗車人員が1人に限られるためアナウンサーが乗車するバイクがすぐ後ろを走行します。

モニタやあんちょこをみながら選手の生い立ちなどよどみなく視聴者に伝えます。移動しながらなので、資料が散逸しないようにとても神経を使うと思います。

上空では日テレの新しいヘリが飛んでいました。今まで2基いたのですが、今年は1基だけでした。

コチラは交通整理の警察官が乗車してきた人員輸送車です。いつも通り原宿交差点のスペースに停車していました。

今回の復路は青山学院が早すぎたのか交通規制が30分ほどになり、原宿交差点で国道1号線と交差する環状4号線は大渋滞になっていました。

裏道という裏道も環状4号線に出られずものすごい渋滞になっていました。

コチラも大渋滞です。

選手、スタッフはもちろん、観戦者や渋滞に巻き込まれた方もお疲れ様でした。

-おわり-