GWのこどもの国線

今日はこどもの日。観光地を持たない東急は、こどもの国への多客輸送は数少ない波動輸送のひとつです。普段は専用編成が2両でのんびり走っていますが、多客期になると有効長目一杯の編成を入線させてがんばっています。以前は5両編成で現在は4両編成が目一杯になっていますが、波動輸送で長編成を入線させるのは当時から変わりません。
こどもの国線は全線単線で、途中の恩田駅に列車行き違いの交換設備がありますが、通勤線化以前だと恩田駅はまだ開業されておらず、こどもの国駅までほぼ棒線扱いでした。同じ列車が1本の線路上を行ったり来たりで運転間隔は詰め詰めで15分が限界でした。

波動輸送時は大井町線の20m車5両編成と18m5両編成が駆り出されましたが、18m車だと若干輸送力が落ちる気もします。

通勤線化前は途中にある信号場扱いの長津田工場でも列車の行き違い交換できる線路配線ではありましたが、下り側に出発信号機がなかったため取り込むことはできても行き違いの交換はできませんでした。仮に待避させても本線へ戻すには入換でバックさせる必要があり、手間がかかるため実現はしませんでした。京急は大昔、黄金町駅で無理やりこの方法で待避をやっていたりしました。
長津田駅出発信号機には進路予告機が付属していて、コレは工場のある東1番線と特修場の西1番線にも直接入線で来ていたからです。現在も工場のある東1番線へは直接入線することができますが、西側には直接入ることはできなくなりました。

当時の配線図です。東1番線に入線してもこどもの国駅側に出発信号機がないためスルーする事ができませんでした。

現在も同じ位置に出発進路と進路予告機のようなものが設置されています。ATC区間なので進路予告機の制定はありませんが、恩田駅が開業したことにより似たようなものを設置し、着線を予告して工場の入出場車などとデッドロックなどが起きないようにしていると思われます。

コチラは昨年の様子ですが、普段は2両編成のうし電車とひつじ電車を連結させて、4両編成で運転を開始しました。子供たちを沢山乗せて楽しい思い出作りの一コマになっていると思います。

東急3000系26周年!?

4月16日で東急3000系がデビューして26周年だそうです。この時の新車新形式は2000系以来、しかもお面が切妻ではないとのことで金沢八景まで見に行きました。ディーゼル機関車は2世代前の機関車がけん引していました。

そして、最後尾は新3001と架線検測車の3001の競演でした。

本線での試運転は地点設定の関係か幕が紙で貼られていました。

東横線での運用を終えて目黒線用に改造された3000系は、目黒線の開通を翌月に控えた7月上旬、初めて日中の増線区間試運転が行われました。まだ目黒線側のホームは仮囲いが行われていて一般旅客は近づくことはできないため、駅に停車するとドアを開けて測定などが行われていました。方向幕はなぜか回送でした。

その前に乗務員訓練を兼ねて三田線に貸し出された3001F。この時は方向幕に路線名が入っておらず臨時のものだったと思われます。乗務員室には不測の事態に備えてか、東急の検車係員が添乗していました。

J-TREC7200系動力車引退

横浜・金沢八景にある鉄道車両製造会社のJ-TRECで、新造車搬出入の際に動力車として活躍していた元上田電鉄の7200系が先日廃車になり工場から搬出されました。動力車自体は元々モニ101などなど歴代面白い車両が続いていましたが、バッテリー機関車の導入により、これで一旦無しになった感じでしょうか。

起点方というか、工場の一番奥側にいたデハ7252の上田電鉄時代です。丸窓電車を彷彿させるラインカラーまとっています。コレはJ-TRECに譲渡されても帯をはがされることはありませんでした。まともな?写真はおそらくネガなので、見つけ次第アップしたいと思います。

工場の出口側にいたデハ7254で、コチラ側もこのまま無垢のオリジナルでJ-TRECで活躍しています。

ラインカラーなどがそのままでアンバランスな感じですが、機械然とした感じがして逆に面白い印象でした。

180度反転させて使用していたため、ジャンパー線などもアクロバティックなつなぎ方していました。