吉沢駅まだ付け足したい箇所は残っていますがひとまず完成です。
最後に悩んだのが小型の植栽です。トミックスやカトーのはちょっと
大きめでして、こぢんまりしたものが欲しいとおもってました。以前は
イマジンというメーカーから色々な樹木が出てましたが、今は廃業さ
れてしまったようです。
「和巧」というメーカーから紙をレーザカットした樹木のうちNサイズが
発売になったので使ってみました。草むらは今回「ミニネイチャー」の
やつも初めて使ってみました。
▲左がミニネイチャーの草むら,右が和巧の植栽キット
モデルワークスの樹木版キットといった感じで、至って簡単でした。
枝部分を接着した後、上へ下へ枝部分を曲げていきそれらしくします。
最後に枝の先端にボンドを少量ずつつけて、付属のスポンジの中で振
り回すと見事葉っぱが付きました。ボンドを乾かす時間を除けば、製
作時間はおよそ2分/本といった感じです。
周りの家にちょっとだけ植栽を行った後、吉沢駅に看板を取り付けま
す。東急の古い著書で有名な関田克孝さんの家にお邪魔した時、駅
名看板だけの写真があり大変参考になりました。
路モジは面積が小さい分、作りやすく作り込みも可能です。調査期間
が長すぎて、昨年の6月着手以来1年3ヶ月もかかってしまいました・・・
水の表現
吉沢駅構内を横切る農業水路に水を流すのを忘れていました(-_-;
色々表現の仕方はありますが、ヘッポコの場合苦手な作業の一つで
す。メディウムでの表現にしようかと思いましたが、乾燥するのに平気
で1週間くらいかかる場合もあるので、今回はお手軽木工ボンドバー
ジョンにしました。
リトルジャパンの定休日を忘れて行くのは何回目だろうか・・・全く学
習能力がありません。
本当はGMの線路諸標識を買いたかったのですが、イモンでは売り切
れていて、仕方なくトミーのヤツを購入。でも停止位置目標の標識も
入っていたので自作する手間が省けました。
砧線は朝間ラッシュ時連結2両運転を行っていたので、「1」の表示と
無表示の2種類の標識がありました。上りは踏切の関係で1個のみだ
った様ですが・・・
トミックスのは「6」とか「10」とか印刷されていましたが、無用なので
シンナーで消してインレタで「1」を転写しておきます。
小物こまごま・・・
吉沢駅はとりあえず、緑化も終了し見られるレベルに・・・なったハズ。
気が付くと細かいモノが次から次へと気になりまして、なかなか進ま
ないです。日差しが出るまで待ってましたが、台風接近のためか曇り
がちで、日が出たと思い調整しているとまた直ぐ曇るので、曇天下で
撮影です。
▲ちょっと衣装が古めのフィギアを置いたりまだ作業があります
吉沢駅・・・いまさらですが・・・
吉沢駅は大正13年3月に砧線の開業と共に設けられた駅です。この
先にある大蔵駅隣接の砂利採取場から砂利を運ぶ列車のため、ここ
吉沢駅には交換設備が設けられていました。
昭和9年に多摩川の砂利採取が禁止になり、その後砂利の輸送量が
減ったこともあり、都市計画道路府県道第73号線(現在の多摩堤通り)
の建設に併せ昭和17年交換設備を撤去しました。その跡地の関係で
敷地が広がっています。
その多摩堤通りが駅前の中耕地3号踏切道になります。こちらの踏切
は戦時中ゴタゴタの中踏切の改廃が行われ、中耕地2号踏切道を名乗
ってましたが、昭和29年2月に中耕地駅から吉沢駅間の踏切を再度
整理し直しその後、中耕地4号踏切道に改称されています。
それまで単なる盛り土による「停留場」であった吉沢駅は、沿線人口の
増加に伴い昭和32年に上家を新設しました。そして昭和44年砧線の
廃止と共に駅も廃止になりました。
駅は二子玉川園駅起点1k143m、東京都世田谷区大蔵町79番地
の2号に存在してました。
▲砧線は一度乗ってみたかったです
上家の中に駅名看板があります。こちらもパソコンで製作中です。