GMで作る東急8000系-その2-

室内の塗装が完了しました。室内デコラはクリーム1号を、天井は白色を吹き付けておきます。

 

色は近い雰囲気かなぁ、っと思ってます。



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GMで作る東急8000系-屋根と車番選定-

GM製の屋根は8500系が基準となっているので、ランボードが全長に渡って設置されているタイプです。8000系で当てはめると8021~の編成になり、ヘッポコ工場長はこどもの国線仕様にするため、大井町線の車番になります。何度か見た事ある8051Fの最終編成にします。

奥から2両目の4号車は元Wパンタ車と言うことで、クーラー位置が異なります。手前の2号車は軽量車体のデハ8400でコレは末期に組み込まれた編成です。今回製作するのはコレが組み込まれる前のデハ8151が入っている編成です。2号車以外はランボードが全体に渡り設けられているのが分かります。ちなみに、本線を走っているのは初期車の冷改車なのでランボードは後付けです。

屋根は元々は布屋根でしたが、晩年は絶縁塗装が施されてランボードが目立たなくなってきていました。

一番手前のクハ8051は3基目と4基目のクーラーの間にSRアンテナの基台が残っています。送信用、受信用で2個アンテナがあった頃の名残です。写真に写っていませんが、1基目と2基目の間にSRアンテナがあります。

話しは変わって自由が丘の車庫は検車区移転後5線ありましたが、18m車が6両運転になってしばらくしてから4線になり、更に18m車が淘汰された後は2線になり、その後三枝分岐器が設置され3本留置が可能となりました。8051Fの写真は3線化改造の時の様子です。下の写真も既に3番線と6番線の使用だけでした。現在は1線だけになり、敷地は「トレインチ」(電車の家の由来)という商業施設になっています。

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昭和末期のこどもの国線多客期編成

東急8000系を作るのに引っ張り出してくる本は電バスの「東急の電車たち」と保育社の「東急」です。今月発売になった鉄道ピクトリアルのアーカイブスセレクションは早速購入してきました。

こどもの国線は元々専用編成のデハ3405+クハ3866から始まり、昭和末期は7200系アルミ試作車の編成で、現在にいたるまで2両編成の運転が通常です。
GWなどの多客期は2両では捌ききれないため、大井町線の5両編成が充当されていました。昭和56年GWのとある日は、大井町線の5041F5連の編成が充当されていました。幕は上りも下りも「こどもの国」を出したままで、95運行が表示されています。


コチラは昭和58年(1983年)のGWです。やはり大井町線の車両で8003Fが充当されていました。方向幕は同じく「こどもの国」を出したままで、運番は149運行になっていました。長津田←→こどもの国のサボは出していなかったようです。非冷房の車内は暑かったようで窓は全開です。


専用の7200系が検査日だったりすると6000系の2連が充当されていまいした。特に休園日は6000系が多かった気がします。運番は当初は93、95運行辺りでしたが、田園都市、大井町線系統に列車無線が整備された昭和58年以降は大井町線識別のための100番代が追加され、元々の40番代に付加する割り当てでした。その後見直されこどもの国線の運番は180番代になりました。

細かいことには拘らず8000系のこどもの国編成に着手。

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