東急2020系2146F出場【J-TREC横浜】

2020系2146F出場

今回も2020系は横浜J-TRECからの出場となりました。26本目2146Fで、2145Fの時と代わり映えしませんが、出場を見てきました。

前回の2145Fの出場はコチラをご覧ください。

牽引機【DE10 1662号機】

今回も牽引機はDE10 1662号機です。動けるDEがこれくらいしかないのでしょうか。大船駅で到着を待ちます。定刻通り12時12分に到着し、ココで10分ほど停車します。

根岸線の路線で、このJRマークがついていると何だろう?っとワクワクします。

出発信号機が見えなくなってしまうので、一番先端まで行きます。意地悪しているわけではありませんし、出発側の軌道回路に列車が収まっていないと、所定時刻に信号が切り替わらないと言うのも理由の一つです。他の場所で、学生さんが「意地悪であんなところに止まっている」なんていう会話も聞こえますが、そうではないことがほとんどです。

前回は大船駅で牽引機の出発を見送りましたが、今回は先行する横須賀線で先へ急ぎます。

山の根第2踏切へ

今回はちょっと専用線らしいところで撮ろうと思い、山の根第2踏切で待つことにします。ココも第4種踏切で、横須賀線の山の根踏切は人しか渡れない人道踏切に対し、コチラは県道を跨ぐ踏切です。このままではチト危ないです。

入換運転で専用線にはいり牽引機がやってきました。

踏切の手前に一旦標識があり、ココで停止現示となります。県道の山の根第2踏切とその先に赤道踏切があるため、1人が降りて安全確認に向かいます。

安全確認が終わり進行信号になります。

そのほかにも、J-TRECで契約していると思われる警備員さんが県道で自動車を止めて安全を確保しています。

赤道踏切で係員さんを再び添乗させて、神武寺駅へ向かいます。

2146F出場

出場はいつもの山の根踏切で待ち伏せます。いつも通りの時間でやってきました。

信号区間の入口でいつも通り一旦停止します。

トークバックで一旦打ち合わせをします。

入換標識が開通したら運転開始です。

分割点はいつも通りで、代わり映えしません。

この先の入換標識まで再度打ち合わせして、駅に据え付けます。

2146Fディテール観察

特に代わり映えもしないため、サラリと見る感じです。同業者も10人くらいしか居ませんでした。

側窓が全開になっています。メーカーの添乗員さんが乗車しているわけですが、クーラーも使えずかなり暑いんだと思います。っというか、かなり暑いハズです。6月とは言えこの日は30度とかになっていましたから、添乗員さんは週間予報でてからずっと天気予報とにらめっこだと思います。夏の出荷はやめて~というのが心の声でしょうか。

分割点。

コチラも分割点。

分割終了しました。終了しました。

牽引機も観察します。グリルのところは模型だとタダの網網ですが、よくみるとエキスパンドメタル枠のような物が取り付けられています。

凹んでいるイメージでしたが、逆に取り付けられているのがわかりました。

国内線の往復 1,000円で海外へ

一路長津田へ【大船駅通過】

午後は予定があるため、大船駅で見送ることにします。14時01分大船駅を通過していきました。

26本目が登場し、また8500系が1本落ちることになるでしょう。

三河島事故【59年目】

三河島事故

1962年(昭和37年)5月3日の21時半過ぎ、常磐線三河島駅の終点方で二重衝突事故が起き死者160人という大惨事です。一度は聞いたことがある事故名と思います。


事故は、写真右側の線路が第一の事故発生地点で、最初に停止信号を見落とした貨物列車がこの砂利盛りに突っ込み脱線。次にこの写真を撮っている線路に下り旅客列車がやってきて、脱線した貨物列車と衝突して脱線。この時点での負傷者はそれほどでもありませんでしたが、5分後に左から2番目の線路に上り旅客列車がやってきて脱線し、前2両は盛土から下へ転落してしまいました。

この付近を下から見るとマンションの3階の高さに線路があります。60キロくらいで走っていた列車がこの高さから落ちるというと想像するだけでもアレです。貨物列車と衝突した最初の旅客列車から、乗客が車外に降り多数線路上を歩いていて、そこへ上り列車がやってきたため、犠牲者は線路上を歩いていた人が相当人数になります。

三河島駅北側にある浄正寺には犠牲者が沢山収容されていたそうで、慰霊碑が設置されています。ヘッポコ工場長も今日お参りに行こうかと思っていましたが、都内は緊急事態宣言がでているため、解除後に行こうと思っています。

▲2007年撮影.

この日は午前中に先日と同じような宮城県沖を震源とする大きな地震があり、常磐線は終日ダイヤが乱れが続いてました。通常なら通過できる三河島駅は、遅れている旅客列車が先行の順序通りとなるため貨物線の出発信号機は停止現示となっていたにも関わらず、錯誤等により見落とし脱線したのが最初の原因でした。

インターネットには書かれていない背景や、三河島事故の予行演習とまで言われた全く同じ事故が更に15年ほど前に起きていて、その辺の事情はコチラの書籍に詳しく書いてあります。興味のある方はご一読ください。

60年近く経った今も事故の犠牲者の中に1人だけ身元不明人がいます。なくなられた方のご冥福をお祈りいたします。

貨車門デザイン

T356X製の貨車門は想像力をかなりかき立てられる製品です。メーカーのツィッターでも作例となるモジュールが載っていてまさにこの写真の様な感じです。併せて万年塀も発売になるような感じですが、コレ如何に。

上の写真は神奈川臨海で見かけた門ですが、門扉のサイズが線対称ではなく、右の方が若干大きくなっています。

看板を取り付けるのも楽しそうです。

この専用線を進むと更に違う門もありました。

コチラは安善にある米軍の油槽所になりますが、こう言う門がバリ展で出るとまた買いたくなります。ココは反対方向へカメラを向けるとかなり怒られます。

上の写真で左側に見える門の15年位前の写真ですが、古風な門であったことがわかります。

コチラは門扉がポイントの上に設置されています。この場所現在は撮影が困難ですが、以前は使われていなかったため撮影していても怒られませんでした。

コチラは米軍側厚木基地への入口にある貨車門です。燃料輸送の門もワクワクします。

鉄道ではありませんが、軍関連施設でこんな門があります。バリ展で出ればこう言う施設にも門扉を設置することが出来ます。

ココは横浜市内にあるアメリカ軍の通信設備の基地です。現在は返還されていた記憶があります。

怪しい雰囲気が出ています。