東急2020系2147F出場【J-TREC横浜】

2020系2147F出場

またまた横浜のJ-TRECから東急2020系が出場となり、27本目2147Fが出場を見てきました。

前回の2146Fの出場はコチラをどうぞ。

牽引機【DE10 1662号機】

牽引機が到着する直前に土砂降りとなったため、ホームの中程で待つことにします。今回も1662号機が牽引機となりました。

一番前まで行くので、今回は一番前まで行ってみました。ホーム目一杯で、画角も目一杯です。

根岸線の終点方出発信号機が進行信号になりました。

横須賀線はダイヤが乱れていて、1本ウヤになっていたので逗子駅への先回りが出来ず、ココで牽引機を見送ります。

山の根踏切

いつもの山の根踏切で待つことにします。留置線を見るとE235系1000番台増えてきた感じがします。

E217系もそろそろ記録し始める人が増えてきそうです。1228S成田空港行きの増結編成が出庫したら踏切で待ち構えます。

2147F出場

若干遅れ気味でやってきました。機関士さんは若い人で、たぶん前回指導役について線見兼ねて教習を受けていた機関士さんだと思います。運転台から顔を出して合図と進路を注視しています。

信号区間入口の所定停止位置に到着です。

トークバックにて打ち合わせ中です。

信号扱い所と打ち合わせが終わり、機関士さんと運転区間の打ち合わせです。

入換開始です。

かっこいいなぁ。やっぱりDE10の1両くらいフィギュアを乗せたいです。乗り心地も悪いし、ヘッポコ工場長だとたぶんデッキから振り落とされてしまうと思います。

いつも通りの分割点です。

コチラも同じです。

10両はやはり長いです。

ホームに据え付ける前に再度打ち合わせです。入換標識は開通しています。このあとホームへ入ります。

いつもどおり金沢新道踏切の長時間遮断による周辺道路の渋滞が発生していますが、この日は救急車が緊急走行していました。渋滞しているため反対車線をひたすら走行していきました。

今回は若干人が多かったですが、それでも20人居るか居ないかくらいです。

特に代わり映えしない写真なので、先へ向かいます。

一路長津田へ【新杉田駅】

甲種輸送を根岸線らしいところで何カ所かで撮りたいと思っていまして、その中の一箇所新杉田駅付近の斜橋で撮影しました。新杉田産業道路架道橋で、31mの斜橋のため、箱桁の横桁を3箇所渡してその上に鋼板桁を設置しています。

田園都市線に見えなくもない感じですが、山手付近や桜木町付近の架道橋でも撮影してみたいです。

東急2020系2145F出場【J-TREC横浜】

2020系2145F出場

田園都市線用の2020系が今回も珍しく横浜のJ-TRECから出場となったため、いつもの逗子へ向かいますが、今回はちょっと時間をずらして色々と他の場所を見て回ります。

牽引機【DE10 1662号機】

今回の牽引機は2144Fの時も牽引したDE10 1662号機でした。牽引機は新鶴見から来て、大船駅で12時12分から22分まで停車しています。

京浜東北線ホームの10番線でしばらく停車しています。

12時17分発の横須賀線逗子行きが発車したあと、22分に牽引機が出発します。

連絡線を単機で下っていきます。

2145F出場

いつもの山の根踏切へ向かいます。先月の2144F出場時は規制線がありませんでしたが、今回はホーム先端は立入禁止になっていました。ネタ系の出場時トラブルがあったのかはわかりませんが、撮影時には十分気をつけたいものです。
左側の社員さんは帽子に赤蛇腹がある女性助役さんのようです。

増結編成の入換運転をやり過ごしたあと定位置で待ち構えます。

10両はやはり長いです。停止現示になり踏切手前で一旦停止します。

信号区間に入るためトークバックで打ち合わせの後、逗子構内への最初の入換標識71Lに進行が現示されました。

今回も途中は動画で撮っため通過時の写真はありません。

動画はコチラをどうぞ。途中バランスが崩れて見苦しくなっています。

いつもながら駅前の金沢新道踏切は長時間遮断のため、接続する道路は大渋滞しています。

いつもの場所で出発時間まで待機します。E235系と比べると東急の電車は全幅が狭いのがわかります。

3番線には頻繁に折り返し列車が入ってくるので、ディテール観察をしているとこの先のスケジュールに間に合わなくなってしまいます。今回は細かいディテール観察はせず、切り離しポイントだけ押さえて先を急ぎます。

25本目の2020系です。

パンタグラフは振動で上がることがないように、縛られています。

分割点その1。

分割点その2。折り返しの湘南新宿ラインが程なく入線し、一番前まで行って写真を撮るのは時間切れになってしまいました。

一路長津田へ【新杉田駅通過】

10両の長大編成はいつもの大船駅で見送っても画角に入りきらないため、後追いで直線の新杉田駅へ向かいます。下りの根岸線は14時12分発で、甲種輸送は14時14分通過のため、下りが遅れない限り被りません。

逗子駅では反対側だった部分が見えます。黄色い物が見えました。

このまま根岸線の線路を通っていけば、横浜線直通列車のように長津田駅へ何ら問題なく行けるのですが、分割の都合上武蔵野南線の貨物線経由で一旦八王子駅へ向かいます。

10本弱居る8500系も残りがわずかとなってきました。

東急にも貨車があった

ト3050

東急の無蓋貨車

緊急事態宣下やまん防のため出かけられず、連休中に整理した写真をチラチラと出していきます。

東急の貨車と言っても大東急時代を含めれば小田急、相鉄辺りの貨車も入ってしまいますが、昭和30年代後半に居た貨車についてです。

ト3050形

大正13年に10t積無蓋緩急貨車フト1形として4両登場。多摩川で採取した川砂利輸送の目的で製作されましたが、後に川砂利の採取が禁止になり砂利は露天の陸掘となってしまいました。後年保守用の砕石輸送用となってしまいましたが、砕石輸送はモーターカー+ダンプトロでの形態になり、昭和45年頃から休車状態になり昭和51年までに廃車になりました。

▲ト3050形,3053.伊藤忠興氏撮影.

ト3070形

 大正14年に10t積無蓋緩急貨車フト40形として製造された車両で、東急の同じ無蓋車ト3050や3060より軸距が長いのが特徴でした。コチラも多摩川の川砂利輸送等の目的で製造されています。後年は保守用の砕石輸送に活躍しましたが、コチラも昭和51年までに全て廃車になりました。ト3081~3084は伊豆急行建設工事に使用するため貸し出され、そのうち3081、3082はそのまま伊豆急に譲渡され昭和49年まで活躍しました。
編成はデキ3021+ト5両程度+デワ3041がほぼ定位です。デハ3450形の両運車を使用することもたまにあったようですが、終電~初電までに編成替えを行う必要があるため、だいたいデキとデワのあんこでした。

▲ト3070形、3076.関田克孝氏撮影.

煽り戸を外され、長物車代用として運用された車両もありました。

▲伊藤忠興氏撮影.

端梁の構造がよくわかる写真です。煽り戸がなくなってしまったので、連結器の解放テコが撤去されています。。

レール輸送用にも鉄道貨車がありチ3091+チキ3095+チ3092の編成で25mレールを輸送していました。コチラも昭和40年台後半頃からモーターカーに置き換えられチキも昭和51年頃には廃車になりました。レール輸送についてもう少しふれると、昭和50年代後半までは当時の国鉄のチキが新丸子基地まで深夜に乗り入れて、製鉄所からの新品レールを輸送していました。長津田からの東急線内は,モーターカーの牽引ではなく、運転速度の高い鉄道車両が使用されていました。

新丸子ト3070
▲新丸子の砂利積み込み線.左側のホームに砂利が沢山ストックされています.