横須賀線武蔵小杉駅下りホーム新設工事【その14】

綱島街道口新設

昨年12月24日に供用を開始した武蔵小杉駅の新改札口を先日見に行ってきました。武蔵小杉駅は横須賀線が停車するようになり、それまで1か所だった改札口が新南改札ができ2か所になりましたが、それでも朝間ラッシュ時の混雑が激しいため臨時口を新設した経緯があります。過去の朝間ラッシュ時は下の写真のように、改札機から駅舎の外まで列ができていた時期がありました。ホームへ上がるまで2~3分はかかっていたため目の前に来た電車に乗れないことは恒でした。

▲2015年1月撮影.

更に今回下りホーム新設工事に伴い4か所目の改札口「綱島街道改札」が供用開始となりました。臨時改札と共にコチラは終日運用ではなく7時~23時までの運用ですが、臨時口とは異なり、券売機の設置と駅社員さんが配置されています。

横須賀線から南武線へ向かう通路の途中から綱島街道口へ分岐します。

設置されている券売機類は、チャージ機1台、券売機1台、指定席券売機1台となっています。

改札の目の間を南武線の線路が横切っています。

ココで南武線を超えることはできず、線路沿いに横須賀線、新幹線、綱島街道をくぐります。

綱島街道へは階段で上がります。

線路、道路をくぐると真正面に東横線の改札口があるため、東横線へ乗り換えるにはコチラを利用した方が交通信号による時間ロスがなくなります。

しかし、駅の入り口を示す看板類は何もありません。上の高架橋は綱島街道、道路は市道のためJRが設置することは難しそうです。

改札前に来てやっとJR武蔵小杉駅の看板がありますが、電照式看板ではないためちょっとわかりにくいです。

奥沢駅改良工事【その17番外編】

改良工事が行われていた奥沢駅ですが、駅ビルにテナントが入っていたため寄ってみました。

待避線側の旧ホーム支柱などはすっかりなくなっています。

駅ビルは2階、3階ともにテナントが入ります。

看板がみえますが、2階はコーヒーショップのタリーズになっています。

3階はハイアルチというトレーニングジムです。高山でのトレーニングに特化したスタジオで、低酸素などが体験できます。

連絡橋を利用数するには3階へ行きますが、2階のタリーズでお茶していきます。奥沢には個人店のカフェは数店舗ありますが、チェーン店のコーヒーショップは初めての出店です。

場所柄自由が丘が近いため、この手のお店は自由が丘に任せていた感があります。東急がフランチャイズでやっているか、タリーズ本部を誘致したかはわかりませんが、平日の昼間でも8割ほど席は埋まっていました。窓は南側を向いているため、日中はほとんどブラインドを下ろしたままと思われるので、駅前の噴水など外の景色は楽しめません。

せっかくなのでドーナッツとコーヒーを頂いて帰ることにします。

映画「窓ぎわのトットちゃん」を自由が丘目線で見てきた

東宝の配給で昨年12月8日から封切となった映画「窓ぎわのトットちゃん」を見に行ってきました。原作は30年以上前に書籍で読んでいますが、コレがアニメ映画になるとは思っていませんでした。
映画の内容はほぼ原作と同じなのでネタバレ云々はないと思いますが、自由が丘1丁目29番地区再開発事業の仮囲いに原画が印刷されているので併せて見に行ってきました。

トットちゃんが通ったトモエ学園入口の原画も描かれています。トモエ学園は木造国電の廃車体を校舎として利用していたため、今もあったらとても興味深いものになっていたと思います。

トモエ学園の跡地は長らくピーコックストアの平場駐車場になっていましたが、その後立体化され、現在は更にデュ・アオーネという商業施設に生まれ変わりました。ココの角地左側がトモエ学園の入口側です。

戦災により焼失した後、戦後にトモエ学園は幼稚園として再開しましたが、15年ほどで閉園して駐車場になってしまいました。ヘッポコ工場長も幼稚園の頃この辺を通ると建物の基礎跡があり、「何があったのだろう?」と子供ながら疑問に思っていました。盛土の横には防空壕の様なものもあった記憶があります。

トットちゃんが何度となく出てくる自由が丘駅駅舎の原画で、当時は自由ヶ丘で「ケ」の字でした。駅の改良工事が行われるまで南口はなく、大井町線、東横線共に島ホームの1面2線で、大井町線へは構内踏切を渡る構造になってました。

今の時代でパーティーの案内状や地図などで「自由ヶ丘」となっていると、作ったのが地元の人ではないなぁってすぐに分かってしまいす。

駅舎があった場所は現在東急自由が丘ビル、旧自由が丘東急プラザビルの場所です。この辺が駅舎への出入口で、今は駅設備としては何もない場所です。

この赤丸付近が駅本屋入口でした。現在の留置線は当時自由ヶ丘検車区となっており、検車庫もある大きな車庫でした。この写真ではその面影が残る配線が見て取れます。

この三菱UFJ銀行の奥が駅本屋で現在は、副支店長が座っているあたりがかつての本屋改札になります。

1959年に竣工した駅改良工事後に東急プラザとしてオープンているため、すでに築60年以上の建物です。最上階にはレストランが入っていて、週末に両親に食事に連れて行ってもらった記憶があります。今もレストランはあるのでしょうか。

現在の駅舎は盛土区間を取っ払って1959年に完成したものです。

劇中のカットを見るとトットちゃんはこの道路を通っていたようです。制作協力に自由が丘商店街振興組合が入っていたため、当時の商店街再現はかなり高いものになっています。この狭い道路を東急バスが通っていて、狭隘バスファンにはなかなかなものと思います。

戦争が激しくなり井原食堂の前で「おなか空いたよ~」っと泣くシーンがありましたが、写真真ん中にある植え込み右側が井原食堂のあった場所です。

田園調布教会も現存して多摩川駅からよく見えます。

劇中ではモハ510形が軽快に走っているシーンなどもありとても見ていて面白かったです。車内の様子もよく描写されていまして、おそらくココをロケハンしたと思います。

トットちゃんのお父さんは新交響楽団(N響の前進)でコンサートマスターを務めたバイオリニストで、大人になったトットちゃんは奥沢にあったバイオリン製作者の元にたまに遊びに来ていたようです。ヘッポコ工場長もそのお宅へよく遊びに行っていたの思いだします。

今回の配給元である東宝は阪急グループで、東急系列であった東映の配給でやってもらいたかった気もします。
原作通りのイメージで見られる映画で、面白いので見に行ってください。