大田区役所と蒲蒲線

蒲蒲線

東急蒲田駅と京急蒲田駅は500m程離れていて、城南地区から羽田空港へ行く場合はこの箇所を通るのが関所的な存在になっています。あの区間を歩くのか、バスに乗り換えるのか、あるいは最初からバスで空港へ向かうか、品川か横浜に出て京急で迂回するという、超が100個くらい付くめんどくささです。その抵抗を解消するために東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ蒲蒲線構想があり、大田区はかなり乗り気な事業計画です。

大田区役所には横断幕が掲げられており、大田区のやる気がうかがえます。

大田区役所の建物は大田区が建設した物ではなく、「桃源社」という不動産会社が建てたビルでしたが、落成後桃源社が倒産したため5,6年放置されたままのビルを大田区が買い取ったものです。
そしてこの建物は、建設当時から蒲蒲線の建設を見越して、地下に鉄道スペースを残して建設するのが建設の認可条件でした。まさかそれがそのまま大田区に戻ってくるとは思いも寄らなかったことでしょう。

中央部には桃源社の社紋であるTを象ったマークが意匠として設置されているほか、各所にこの装飾が設置されています。そして、このマークの地下部分に鉄道スペースが用意されています。都市伝説的に地下にホームがあるとかネット記事を見かけますが、それはありません。
ただ、この地下にはもう一つ大事な施設が鉄道用地を抱き込むように建設されていて、多摩川幹線と呼ばれる下水本管がこのマークのほぼ下を流れています。蒲蒲線を建設するときは下水本管を仮受して、区役所の基礎も保護しながら掘削しなければならず、大工事になることは間違いないです。

ヘッポコ工場長が生きているうちに開通するでしょうか?

奥沢という街

奥沢について

奥沢の由来

住居表示では世田谷区奥沢となり、等々力駅付近までが奥沢となります。その昔、玉川村からみて奥地で沢が入り組んでいたから付いた地名と言われていますが諸説あります。
奥沢に接して、田園調布、自由が丘、緑が丘、等々力とあり高級住宅街の様相を呈しています。奥沢の駅は奥沢3丁目になります。家は高級ではありませんでしたが、ヘッポコ工場長も生まれてからこの地域に何十年も住んでいたため、とても愛着のある地域です。


鉄道としては、奥沢駅が目黒蒲田電鉄創業時から開業しており、当時は工場を備えた車庫が設置されていました。目蒲線時代までは検車区が置かれていましたが、目黒線になってからは留置線のみとなり、近隣にある大井町線の自由が丘と同じような感じです。

街並み

隣接する自由が丘や、緑が丘は道路が碁盤の目状になっており早くから区画整理がされていました。ただ、奥沢は区画整理組合方式ではなく、地主さんが自ら区画整理を実施しました。

高級住宅地の部類に入る奥沢ですが、近年は田園調布と同じように相続の際土地を切り売りして小さな家を建てることが増えてきています。ジオコレの狭小住宅を少し大きくしたような作りの家です。

ジオコレでこんなのも出してもらいたいです。ココも1軒だったところが3軒になっています。

ちょっと離れた場所になりますが、このようなお蔵が残っている家もあります。レイアウトの中で、KATOの住宅でもGMやジオコレのお蔵を組み入れても大丈夫そうです。

勿論周りの家は全て近代仕様です。

奥沢海軍村

奥沢は2丁目を中心として、大正末期から昭和の初めに海軍の軍人さんが多く住み始め奥沢海軍村と呼ばれていました。海軍省のある虎ノ門と軍港の横須賀どちらにも行きやすく、都心より土地の値段が安いというのが理由でした。現在は石碑がひっそりと植わっています。

人が住んでいる家にカメラを向けるのもアレですが、広い敷地に昭和初めの洋館らしい作りの家が今でも残っています。

家は玄関前にポーチが設置されている家が多数あります。

ヘッポコ工場長が子供の頃は、もっと沢山このような家があり同級生の家でこう言う家もありました。この手のガラスは最近の量販サッシ屋さんではウデがなく、職人さんを探すのも大変だそうです。

芸能人・著名人の街

奥沢とその周りの地区も含めて多数の芸能人や著名人、財界人が住んでいます。徒歩圏でかなりのそれらの家を回ることが出来ます。ヘッポコ工場長も同級生の親御さんが芸能人だったり、有名な方だったりしました。
レイアウトの中に、有名人の家を設定してもおもしろいかもしれません。プロトタイプとなっている鉄道があれば、鉄道むすめの家を設定しちゃうとかありかもしれません。

コチラは高田純次さんの家です。ヘッポコ工場長が以前住んでいた家の前で、家族連れで酔っ払っている高田純次さんに話しかけられたことがありました。

事務所を兼ねています。普通に考えれば節税のために自宅は事務所にしちゃいますね。直ぐご近所さんに荒川静香さんの家もあります。

奥沢から徒歩圏内で、コチラは竹内力さんの家です。新築ではありませんが、元々大使館だった住宅を購入されています。

オブジェがスゴイです。

タケウチとローマ字で表札があります。この近くには八代亜紀さんの家やYMOのドラマー高橋幸広さんが以前住んでいた家など沢山芸能人の家があります。

レイアウトに家を並べるだけではなく、1軒1軒にストーリーを持たせると妄想的にも楽しくなりそうです。

奥沢駅改良工事【その6】

東急目黒線の相鉄乗り入れ8両化に伴い(現在は6両運転)、駅に付属する車庫の留置線改良および、上り線の速達性を高めるための待避線設置工事が行われています。工事の進捗状況を逐次書いていきます。工事の竣工は2023年度を予定。

前回のレポはコチラ

奥沢駅改良工事

上りホーム工事状況

新3番線はホーム舗装とクリンタイル、警告ブロック類の設置が終了し、上家も完成していました。かなりホームらしくなっていますが、ホームドアの仕込みがないようです。付かないことはないと思うのですがどうなるんでしょう?基礎をわざわざ掘り返すのは手戻りとなり、この先の施工方法が謎です。

前回レポした2月には、新3番線のホームスラブが打ち終わった状態でした。

▲2021年2月撮影.

上家は現在位置より若干低いところに本設の物が出来ていました。

待避線となるため曲線が視覚的にわかる様になってきています。

今までは東玉川方向から来て、上り列車に乗るとき、踏切が上がった瞬間ダッシュすれば乗ることが出来ましたが、現在は距離がありすぎて乗ることが出来ません。

待避線の起点方は、新3番線から本線につながる分岐器の挿入が終わっています。

分岐器は、車庫線や渡り線は可動てっ差式ですが、3番線との合流用は普通分岐器のようです。

▲手前は可動てっ差ですが,新設の方は普通分岐器です.

A口駅舎

跨線橋も含めこの辺りは特に変化がありませんでした。

本屋口駅舎

本屋口は駅前に仮囲いができ、噴水から改札付近を見ることが出来なくなりました。

6両編成の記録も今のうちでしょうか。

奥沢車庫

車庫は一旦竣工していると思われるため変化はありませんでした。留置車両が2編成になっていて以前のような留置形態になっているようです。3123Fの方がパンタが上がっているため、この日はコチラが緊急予備車のようです。

改良工事とは関係ありませんが、目黒線の発車案内盤に両数表記がでるようになっていました。今後は6両と8両が混在する運用なのでしょうか。

ニャジラ

トラコレの軌陸車を出してブログを書こうと思っていましたが、外気温が上がったため、冷たい床でニャジラくんが寝てしまい、工作机に座れなくなってしまいました(笑)。気持ちよさそうにねているのでまぁ、許します。