西へ

GWずっと仕事だったヘッポコは今週遅いGW休みで、西下していました。
博多~広島~大阪と見慣れない景色と車両を求めてウロウロと。
大好きな貨車のひとつ「チキ」を求めて九州八幡地区へ。日鐵運輸の
チキも拝めてひと満足です。
日鐵運輸1
福岡・スペースワールド駅前にある新日鉄八幡製作所ではシートパイル
やレールを積んだ独特な貨車を発見。
新日鐵
その後、門司港駅に隣接する九州鉄道記念館へ。2年ぶりでしたが展示
物に変化は無かったです。
583系
新下関駅ではトミックスの入門セットよろしく、37形を含む0系4連の
訓練車がまだありました。
0系訓練車
広島地区へ。
瀬野-八本松では、走行解放こそ無くなったもののEF67による上り
貨物の補機走行はまだまだ行っており、貨物の走行シーンをしばらく堪
能してました。
EF67-102
尾道地区へ。
坂の町「尾道」。階段の途中に踏切があります。尾道は大林宣彦監督の
映画でも有名です。
尾道踏切
ガーン!ホームへ上がるといきなりコイツが・・・リベンジ戦を計画中。
EF65-112
途中、早朝の広島駅や日中の新大阪駅では試運転中のN700系を何度
と無く見かけました。7月からの運用に備えて最終データの収集中です。
N700-01
▲左はひかりレールスター
JR西の「こだま」ではまだまだ0系が使用されてます。
0系こだま
大阪では、泉北高速、光明池駅や能勢電鉄の日生中央駅でニュータウン
のお勉強。モジュール製作の参考に「街」を見学してきました。
日生中央
▲日本生命が宅地開発した阪急日生ニュータウンの中心、日生中央駅
の車止め部分.

開発は1966年~(昭和41年)で丁度、田園都市線が開通した年です。
この頃、あちらこちらで住宅不足に対応するために宅地開発が行われま
した。ここ日生ニュータウンは比較的山間の自然を残した宅地開発となっ
ていて多摩ニュータウン、多摩田園都市などとは趣の違う開発になってい
ます。この能勢電鉄日生線も日本生命が全額出資し、線路敷設した経緯
があります。さすが大阪を代表する企業だけのことはあります。
その後は大阪市内で道路工事現場の見学を!
新設道路と行き止まり部分。ニュータウンに限らずこういう部分が存在し
ます。中央の家もいつかは道路用地になると思います。
行き止まり
実物を目に焼き付けてきたので、早く模型作らなきゃ♪

103系中間ユニット竣工

先月中旬に体調を崩して、その後もバタバタとしてました。
4月30日に月2両の目標通り、103系の中間ユニットを完成させる
事が出来ました。忙しくて写真が撮れなかったんですが、写真にすると
ちょっとアラが目立ったりしてます・・・まぁヘッポコなので堪忍を。
103-11
さぁて、あと5両かぁ。サハは側面方向幕とルーバーの削りが終わり、
クハはランボードの縞鋼板模様を大ざっぱにヤスリました。来週辺り天
気が良ければ一気に塗装を終えたいです。

贖いの印-三河島事故

45年前の今日、常磐線の三河島駅で三重衝突事故がおきました。詳細は省きますが、GWの後半ということで通勤客は少ないものの、行楽帰りの旅客が巻き添えとなり結果的に死者160人、負傷者も300人近く出す大惨事となりました。
この事故を契機に、常磐線には信号炎管、防護無線が整備され、国鉄全線にATSが設置されるようになり、ATSはその後民鉄にも普及するようになりました。
ats
この事故では、桜木町事故の教訓で活かされた「ドアコック」の明示が世間一般に知れ渡っていたため、旅客は勝手にコックを開放して線路に降りてしまいました。結果線路上の旅客は、事故の発生を知らずに最高速度で隣接線を走行してきた列車に次々と跳ねられ被害が拡大する事態となりました。
この時、乗務員が列車防護、旅客誘導などを適正に行っていない事が重要視され、現在の鉄道各社では年2回以上、列車防護訓練等を行う様、国で義務づけています。
事故時は「併発事故の防止」これを第一とし、何かあったら速やかに列車を停止させるというのが後に定着しました。
施設面でも安全側線に列車が突っ込んだ際、付近の信号が一斉に停止現示となるよう「ねずみ取り」が設置されました。現在何気なく見かける設備、施設の背景にはこの様な悲しい出来事が過去にありました。
torasaku
▲通称ねずみ取りとよばれる安全側線緊急防護装置.その後安全側線
のみならず、本線に隣接する車止めにも設けられるようになりました.

事故での犠牲者は事故現場から5~6分歩いたところにある、浄正寺に祀られています。
事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。