横浜市出初式【前編】

1月最初の休日は各地で出初式が行われ、今年もその時期がやってきました。今まで消防団の出初式などは見てきましたが、今年は横浜市消防局の出初式へ行ってきました。

到着するとものすごい混雑です。

消防車が沢山みられるため子供連れが多く、広大なベビーカー置き場があるのが驚きました。

広場には震災救助車の展示があり、復旧工具なども置かれていました。震災救助車にはエアジャッキや、カッターなど倒壊建物から救助者を救出するための道具が積まれています。隣にある能見台と書かれた車両も能見台の震災救助車です。

コチラは消防団のポンプ車です。消防団の車両は一回り小さいです。

ホースや可搬型ポンプなどが積載されています。

メイン会場では放水に備えたポンプ車が待機していました。

篠原のポンプ車にはJRAからの寄贈であるロゴがありました。私もこのポンプ車に出資したことになります。

駐車場の方へ回ると無線中継車がいました。以前、消防フェアの時に内部を見学させてもらったことがあります。

ひと際人気があったのはドラマ「TOKYO MER〜走る緊急救命室〜」のERカーです。鈴木亮平のポスターが車両の前に置かれていました。

人があまり途切れないので、撤収時に出待ちして撮りました。実際の緊急車両ではないため、公道走行をする際は前面の回転灯にはカバーが施されていました。

人気があったのははしご車で、子供さんがキャッキャ言いながら上がっていきました。

コチラも全景が撮れないのと人が多いため、出待ちで撮りました。磯子消防署のはしご車でした。

特別高度工作車も大人気です。滅多に見られない車両で、なんと言っても後方に積載された大型ファンが人目を引きます。

コチラも出待ちです。ウチからそれほど遠くない場所に消防学校があり、そこへ向かうため国道1号線でこの車両をよく見かけますが、見た目はとてもインパクトあります。

この大型ファンが人目を引きます。

煙霧や有毒ガスを排除するためのファンですが、大規模災害発生時にも出動します。

長時間出動に備えた燃料輸送車もいました。

会場で演目があったかはわかりませんが、会場外に機動救助工作車の編成がいました。

機動第2救助工作車で高度な救助事案発生時に駆け付けます。

コチラは機動第1救助工作車で後方には牽引用のウインチクレーンが装備されており、災害時の救助事案に対応できます。

総合支援車で指揮隊車のようなものです。

川で溺れた人がいた事案の時に救助工作車が出動していました。

-つづく-

東急 暮らしと街の文化【後編】

普段は宮崎台の博物館に展示されている模型ですが、ガラスケースではなく近くで見られるのがいいです。開通当日の目黒駅の模型です。

駅舎は本社を兼ねた建物で、駅前では開通を祝う万国旗でにぎわっています。

コチラは地上蒲田駅の模型で、旧目蒲線と池上線が単線並列に改良されたころの様子です。それ以前は旧目蒲線と池上線は直角に駅が設置されていました。

戦後のバラック駅舎と揶揄されていた頃です。

模型のほかに記念乗車券や資料類の展示もあります。懐かしい記念乗車券がありました。コレをみると頭の中にゴダイゴのビューティフルネームがかかります。国際児童年でNHKで毎朝流れていた記憶があります。

このシール、我が家では先日引っ越しの際に大量に出てきました。自由が丘駅の定期売り場で購入した記憶があります。当時の定期売り場は今エトモ側の改札口がある場所に設置されていました。

駅員さんセットもあります。

コチラも博物館にある高津駅のセットにあるヤツでしょうか。

つくし野、すずかけ台がないため長津田延伸直後の頃でしょうか。

コチラは沿線案内の展示が多数ですが、昭和初期の市が尾付近のハイキングのパンフレットです。ハイキングというより藪の中を歩く感じです。

貴重な内部資料でしょうか。新玉川線の線形が描かれ、中は試運転ダイヤが書かれているようです。

新玉川線の建設図面もありました。コレをみると時間のかかるシールド区間は2期工事からスタートしたのがわかります。

駅名はすべて仮称で、「大橋池尻」と今と逆です。

バス関連のものも展示されていました。

この先は貴重な動画などが流れている撮影禁止エリアとなり、撮影はココまでです。腹も減ったので館内のレストランで食事しようと思いましたが、コース料理のある本格的レストランや、ランチでも目ん玉飛び出る価格なので、美術館向い側にある世田谷市場の食堂で食事することにします。

マルシェという食堂で、入口にも市場関係者出ない人も大歓迎と書かれています。

決して安いわけではありませんが、世田谷の真ん中ではリーズナボーです。

昼どきを過ぎていたので、市場関係者が数人いるだけでした。

時間が遅かったので小鉢類は少ししかありませんでしたが、自分定食を作ることもできます。

厚い切り身のお刺身もありました。

アルコールもあります。

お刺身に、盛り合わせ定食、ビールは334mlの小瓶ですが2本頂きました。

帰りは環八側にでて、田園調布駅行きのバスで帰宅しました。

東急 暮らしと街の文化【前編】

昨年から世田谷美術館で開催されている「東急 暮らしと街の文化」の展示会に行ってきました。前期と後期で展示が変わるとTさんから最近聞き、もっと早く行っておけばよかったとおもいました。

交通の便が不便な場所で、最寄り駅の用賀駅から徒歩だと約17分となっています。とりあえず用賀駅を目指しました。用賀駅は副駅名がついています。

駅上の世田谷ビジネススクエアに入っているGMOがその副駅名の名称になっています。

この建物は東急が建てた28階建てのオフィスビルで、元々は玉電の留置線が設置されていました。留置線の有効長かなり長く2線あり、そのほか砕石や大谷石などの資材のストックヤードだった場所で、たいていはデト3031が留置されていました。新玉川線建設時も資材置き場として活躍しています。

美術館までは1時間に1本程度美術館行きのバスが走っているためそれに乗って向かいます。やってっ来たのはリエッセでした。

乗客は10人いないくらいです。

15分ほどで終点の美術館に到着です。

乗客は0人で再び用賀駅へ向けて出発していきました。

砧公園の横をかすめて世田谷美術館へ向かいます。

1400円の入館料を支払い中へ入ります。入口で撮影禁止場所の説明があります。

渋谷の東急百貨店東横店を解体する時に出てきた玉電のレールだそうです。

サビサビで何十年も百貨店の店内に埋まっていたのはすごいですね。場所の平面図とか、発見された時の写真があればなおよかった気がします。

さらに行くと台車の模型が置かれています。博物館にあるものですが、ガラスなど反射物がなく記録できるのがいいです。

コチラは旧5000系ですね。

旧7000系のPⅢ台車もありますが、普通の?TS8◯◯とかも見たかったです。

東急の制服がズラリ!緑色のが東急らしくいいですね。森英恵さんのデザインでしたっけ?

資料展示エリアへ進みます。

−つづく−