東急にも貨車があった

ト3050

東急の無蓋貨車

緊急事態宣下やまん防のため出かけられず、連休中に整理した写真をチラチラと出していきます。

東急の貨車と言っても大東急時代を含めれば小田急、相鉄辺りの貨車も入ってしまいますが、昭和30年代後半に居た貨車についてです。

ト3050形

大正13年に10t積無蓋緩急貨車フト1形として4両登場。多摩川で採取した川砂利輸送の目的で製作されましたが、後に川砂利の採取が禁止になり砂利は露天の陸掘となってしまいました。後年保守用の砕石輸送用となってしまいましたが、砕石輸送はモーターカー+ダンプトロでの形態になり、昭和45年頃から休車状態になり昭和51年までに廃車になりました。

▲ト3050形,3053.伊藤忠興氏撮影.

ト3070形

 大正14年に10t積無蓋緩急貨車フト40形として製造された車両で、東急の同じ無蓋車ト3050や3060より軸距が長いのが特徴でした。コチラも多摩川の川砂利輸送等の目的で製造されています。後年は保守用の砕石輸送に活躍しましたが、コチラも昭和51年までに全て廃車になりました。ト3081~3084は伊豆急行建設工事に使用するため貸し出され、そのうち3081、3082はそのまま伊豆急に譲渡され昭和49年まで活躍しました。
編成はデキ3021+ト5両程度+デワ3041がほぼ定位です。デハ3450形の両運車を使用することもたまにあったようですが、終電~初電までに編成替えを行う必要があるため、だいたいデキとデワのあんこでした。

▲ト3070形、3076.関田克孝氏撮影.

煽り戸を外され、長物車代用として運用された車両もありました。

▲伊藤忠興氏撮影.

端梁の構造がよくわかる写真です。煽り戸がなくなってしまったので、連結器の解放テコが撤去されています。。

レール輸送用にも鉄道貨車がありチ3091+チキ3095+チ3092の編成で25mレールを輸送していました。コチラも昭和40年台後半頃からモーターカーに置き換えられチキも昭和51年頃には廃車になりました。レール輸送についてもう少しふれると、昭和50年代後半までは当時の国鉄のチキが新丸子基地まで深夜に乗り入れて、製鉄所からの新品レールを輸送していました。長津田からの東急線内は,モーターカーの牽引ではなく、運転速度の高い鉄道車両が使用されていました。

新丸子ト3070
▲新丸子の砂利積み込み線.左側のホームに砂利が沢山ストックされています.

東急2020系2144F出場【J-TREC横浜】

東急2020系2144F出場

田園都市線用の2020系が珍しく横浜のJ-TRECから出場となったため、いつもの逗子まで見に行ってきました。今回所用が遅くなり神武寺での観察は時間切れで行けませんでした。

牽引機到着【DE10 1662号機】

いつも通りの山の根踏切で待つ予定でしたが、小雨も降ってたのと、逗子駅には同業者が1人しか居なかったため、逗子駅で待つことにしました。定刻通り機関車が単機でやってきました。

今回の牽引機はDE10 1662号機です。ココまでは運ちゃんだけで、デッキには人が居ません。

デッキに乗る方が停止位置を示していてそこで停止します。入換合図と連結作業の運転取扱業務を行う方々です。

列車後部標識が両点灯から片点灯の入換標識に変更されます。1662号機はよく東急の甲種輸送に当たります。

程なく専用線への入換信号機78Rに進行信号の現示がでました。進路表示機では真ん中の専用2番線を示すT字の現示となっています。

78Rは入換標識ではなく入換信号機なので、信号機の内方に車両が入ると停止現示になります。入換標識はコチラをご覧ください。
牽引機はこの先の73R入換信号機で再び停止、打ち合わせを行い神武寺へ向かいます。

2144F出場

いつもの山の根踏切に移動し待機します。ココも2人先に人がいらっしゃいましたが、何回かお見かけしたいつもの方々でした。一瞬雨が強くなりましたが、新造車が来る頃には雨がやみました。
入換合図の進行信号が高々と現示されやってきました。

山の根踏切手前で一旦停止します。

信号区間に入るためトークバックにて打ち合わせを行います。

信号取扱者と打ち合わせが済むと、運ちゃんと運転線路、次の停止位置などの打ち合わせを行います。

打ち合わせが終了すると進行開始です。走行する機関車のココに1度乗ってみたいです。

先頭車と中間車のこんな組み合わせも今回はみられました。

今回は連結に手こずったのか、踏切防護に時間を要したのかいつもより2~3分遅れて神武寺からやってきました。遅れると上り横須賀線の成田空港行きがやって来てしまいます。ただ、今回スカ線の方をしっかりみていたせいか、運ちゃんは警笛を全く鳴らさなで進行していきました。

10両編成は長いです。

今回、金沢新道踏切の降下と入換標識の現示に結構時間が掛かっていました。信号取扱者が新しい人だったのかもしれません。

金沢新道踏切がかなり長い時間遮断状態だったため、付近の道路は大渋滞になってしまっていました。

ディテール観察

2144Fなので44本目かと勘違いしてしまいそうですが、20系なので実質は24本目の車両になります。

反射式後部標識の裏にマジックで色々書かれていました。「甲10」「関東支」「塩浜派」と読み取れます。JR貨物の塩浜派出所所有物と言うことでしょうか。

個人的にはココが一番お気に入りです。

八王子での分割点は別にあるようで、ココにも後部標識がセットされていました。

ジャンパー栓受けが黄色くなっているのはじめて気がつきました。

1号車の屋根上にはアンテナが2基設置されていました。そういえば鉄道無線にも関係する電波法は、今年辺り改正だったような気がします。

出発時刻まで待機です。

一路長津田へ【大船駅通過】

先日と代わり映えしないカットですが、大船駅を通過していきます。

今回は10両編成なので広角でも入りきらないです。2020系は長津田駅へ向けて走っていきました。

貨車門【T356X製】

貨車門

今までありそうでなかった貨車門のストラクチャーが、3Dプリンタで貨車などの製造を手がけているT356Xより発売されました。

3Dプリンタ製なので、こまいか部分も再現できていますが、強度的に不安な部分もあるため、取扱は丁寧に行う必要があります。サポートと本体をよく見極めて切断しないと、部材の部分を切り落として台無しになってしまいそうです。

ヒンジの部分は凸と凹を組み合わせるので回転させることが可能のようです。

貨車門は鉄道門等とも呼ばれ、専用線が社有地に入る境界などに設置されています。

それが貨車ファンには堪らない良さが出ているのです。線路がなくなっても門だけ残っていることもあり、その時はトワイライトゾ~ンになります。

色々な形状がありますが、今回発売されたのは親柱がしっかりしたタイプで、省線門と書かれてある通りちょっと古風な感じになります。タイプ1となっているため、今後のパリ展も楽しみです。

神武寺駅にある鉄道門は、アメリカ軍の敷地となっているため、周りの高いフェンスに合わせて、デカイ門になっています。

その昔は支柱は木製ったようです。今は金属の支柱になっています。

落とし込みによる施錠もありました。よく観察知ると色々あります。