保土ヶ谷駅のTMC200

先週末は秩父鉄道の広瀬川原駅でお祭りがあり、保線車やスイッチャーが盛大に展示されていたようですが、ヘッポコ工場長は通勤の時、横須賀線の車窓から見える保土ヶ谷駅材料線に留置されているTMC200が気になってます。
連休前から車輪をもがれて自車転車台でジャッキアップされ、バンコに載せられたたままになっていました。
塗装が塗装だけに廃車解体かと思ってました。横取り装置なんかもよく見えます。

先週末保土ヶ谷駅を通ると車輪が填められ整備されてました。車輪の削正だったようです。

保土ヶ谷駅の側線はレールセンターのようでして、たまにチキがモーターカーに連結され入線しているのを見かけます。この時はTMC400が牽引してきたようです。

その後ワンフレームトロなどに載せ替えられ、各施工箇所へ運ばれていきます。

横須賀線の本線と平行して着発線も設けられていて、10時頃になると朝間ラッシュ時に運転された湘南ライナーなどがココまでやってきて間合いの後、折り返していきます。

着発線は片渡りが設けられていて、機回し線も兼ねているようです。

写真右側の建物部分はレールセンター部分と共にかつての貨物ホーム跡地で側線が敷かれていました。車扱いの中には秩父鉄道のスムなどが相鉄線への継走地点として沢山止まっていたようです。貨物の取扱は横浜羽沢駅に合併されて側線も役目を終え、現在はマンションなどが建っています。

あの頃の品川-その2-

勝手にシリーズにしてますが、今回は新幹線です。ッと言っても当時は新幹線に品川駅はなく、構想が具体化するのはこの数年後でした。
小窓ばかりがずらりと並ぶ0系(当時は0系しかありませんでしたが)がやってきたので在来線ホームからシャッターを切ります。新幹線の向こう側にある工場の様な建物が、当時の東京第一運転所の仕業交検庫で中は6線あり、全体では20番線まで有する広大な基地でした。更に奥に見える茶色っぽいビルは総局東一運の事務所です。

当時は乗降場設備は無く、東一運信号所という分岐点が存在するだけでしたが、異常時折り返しや増発を見込み現在の新幹線品川駅が誕生しました。ただ、当初の目論見とは異なり現在営業列車は、初電の「のぞみ99号」のみとなっています。

一番上の写真と同じアングルで撮ろうとすると現在工事中の臨時ホームが入るため、12番線からの撮影となりましたが、遮音壁のようなモノができてしまい現在は新幹線を見ることは出来ません。また当時はここから基地への出入庫線の関係で上り勾配でしたが、基地が無くなったのと乗降場があるため勾配は無くなっています。
当時の基地は道路やオフィスビル、ホテルになってしまいました。

この写真を見ると高田みづえの「そんなヒロシに騙されて」が何故か頭の中で流れます。この時、撮影しながらも頭の中で流れていました。調べたら1983年8月リリースなのでまさに昭和58年です。新曲聞いてよっぽど気に入っていた曲だったようですが、ヘッポコ工場長の名前は「ヒロシ」ではありません・・・

非扱い間もなく終了?

東急大井町線には土地柄というか線形というか、ホームが短く電車がはみ出て止まる駅が2カ所もあります。そのうちの一つ戸越公園駅は踏切が移設し、ホーム延伸工事も始まり間もなく非扱いが解消されそうです。

ホーム両側が踏切に挟まれていたため、5両編成の列車に対しホーム有効長は3両分しかありませんでした。
用地買収など解決したようで踏切の移設が完了しました。下の図で赤い部分が廃止道路で、青い部分が代替え道路です。

ホームの延伸工事中です。

上り線側には踏切注意柵がまだ残っていました。


車掌さん専用の小さいホームはやがて旅客にも開放される部分になると思われます。