渋谷駅改良工事

JR渋谷駅改良工事

JR渋谷駅の改良工事は、昨年玉川口が閉鎖となりましたがその後の変更なども含めレポートします。

桜丘地区再開発事業

ココは、南口から国道246を超え恵比寿方向へ向かった場所になります。かつてあったビルなどは全て解体され、発足した区画整理組合方式により再開発が行われています。基礎工事が引き続き行われていて、未だ目に付く工事はありません。

JR線を跨いで渋谷ストリーム側へ接続されるデッキの橋脚となる鋼管柱の建て方が終了してました。

山手線のホーム側は旧上屋が間もなく解体されそうです。

中央口

コチラは中央口から続く中央東改札です。ココから渋谷スクランブルスクエアに行けます。

ちょっとした階段を下りるとかつての中央口にでられるようになっています。

玉川口方向

渋谷マークシティーからかつての玉川口方向はシャッターが閉められて、行けないようになっています。

バス乗り場

京王バス乗り場は通りの中央に仮設で設けられています。

新宿駅西口、代々木三丁目行きの京王バス乗り場です。道路の中央に仮設で設置されています。

コチラはロゴマークが変わったSHIBUYA109です。入ることはありませんが。

ハチ公バスがやってきました。このバスを撮ったのは初めてです。

横浜駅ダンジョンは有名ですが、渋谷駅はちょっと行かないと全然わからない場所になっています。

第四種踏切【横須賀線】

横須賀線に2箇所残る第四種踏切

第四種踏切とは

踏切には第一種(第一種は甲と乙の2種類)から第四種まで5種類分類があり、第四種踏切とは警報機も遮断機もない踏切を指します。安全装置は何もなく危険ではあるものの、模型味あふれる踏切です。

踏切の種類についてはまたいずれ解説することとして、横須賀線の模型味あふれる第四種踏切についてご紹介します。

山の根踏切

逗子駅~東逗子駅間にある山の根踏切で、逗子留置線の中を横断する踏切です。ヘッポコ工場長が甲種輸送を撮影するときに利用する踏切です。
踏切には遮断機どころか、赤色灯が点滅する警報機すらありません。踏切警標のほかは「踏切注意 とまれ!」の注意喚起の看板があるだけです。

踏切は、専用線+横須賀線本線2線+留置線4線と7線を跨ぐかなり長い踏切です。反対側も「ふみきり注意 とまれ!」の看板がデーンっと真ん中に鎮座しています。
踏切名称の山の根はこの辺りの地名になります。

子供連れで渡るには、21世紀の現代ではとても危険な踏切です。子供が覚えて1人で来てしまうととても心配です。

しかし、やはり2年前に事故が起きてしまいました。この辺に土地勘のある方ではなくイヤホンをしていたようで、本線があるとは思わなかったのでしょう。
その後、本線部分には注意喚起の看板とカラー舗装の工事が施工されました。上の写真と比べると、本線部分は目立つようになりました。

今は踏切の真ん中に逆三角形で大きく「止まれ」と看板がありますが、15年ほど前までは大きな注意看板は見当たりませんでした。

留置線部分には角材を敷き詰めただけの箇所も存在しています。

いつかは廃止される時が来るかもしれません

八幡第二踏切

コチラは本線ではなく、久里浜駅の先にある引上線の車止め付近に存在する第4種踏切です。山の根踏切と同じような「とまれ」の看板があります。

山の根踏切とは違い、ココは単線区間で踏切は1線を渡るだけの構造です。山の根踏切は車両通行止の人道踏切でしたが、コチラは自動車も通る踏切です。クルマの皆さんはちゃんと止まっていました。

踏切警標はちょっと痛みが来ています。

この踏切は引上線上にあたり、久里浜駅方向をみると踏切直ぐ脇に乗務員用の昇降台と停止位置目標があります。この停止位置目標には「11」と書かれているため、実際にはこの踏切まで車両が来ることはありません。

塗装が行われている形跡がなくかなりぼろぼろな状態でが、停止位置目標だけは新しいです。

反対側を見ると、やっつけ的な車止めがあります。踏切は引上線の過走余裕距離内に存在しています。

この部分が横須賀線の実質の終端部分になります。この車止めは仮設で、線路はココからまだ80m程先まで続いています。

以前はこの先にも行けるようになっていて車止めは見えませんでした。

▲2005年撮影.

コチラが本当の横須賀線の終端部分になります。早朝深夜帯に久里浜駅の留置線から出入庫する際、この引上線で車両が折り返します。その際かなりの時間踏切を遮断してしまいます。

首都圏では珍しい第四種踏切が横須賀線上に2箇所もありますが、いつか無くなる日が来るかもしれません。

逗子の専用線-番外編-

昭和12(1937)年、逗子の池子・久木地域に火薬庫の建設が決定し、官制鉄道であった逗子駅から引込線建設が計画されました。歴史についてはまた別の機会にするとして、火薬庫は谷深い場所に設けられ、一部では崖にトンネルを掘りそこが火薬庫になりました。逗子からの引込線は、京急線神武寺駅付近から池子地区と久木地区に分岐して、更にそれぞれの倉庫へ積込線が敷設されました。戦後は池子弾薬庫として米軍が使用していましたが、一部返還になり久木地区に立入ができるようになったため、調査してみました。

弾薬庫は昭和50年代まで稼働していて、現在は米海軍の池子住宅となっています。社宅ならぬ軍宅とでも言うのでしょうか。

米軍住宅へのゲート部分ですが、米軍管理施設で撮影は怒られるので雰囲気だけ。

この辺りから久木地区の火薬庫へ行く線路が右側に分岐していました。

この道路が線路敷きの跡になり、歩道のある部分に線路がありました。道路も平行してあったため、幅員はこの半分くらいしかありませんでした。

坂を登り切ると右カーブとなります。見た目はR=150位です。

カーブの先にトンネルがあります。昭和15年に建設が行われた久木隧道ですが、今あるのは平成に入ってから改修された新久木トンネルで、二次巻き覆工を行い近代的なトンネルとなりました。

銘板がありました。改良工事は平成4年に竣工しており、横浜防衛施設局は統廃合により現在は南関東防衛局となっています。施工は西武建設横浜支店が請け負っています。

断面改良もおこなわれたそうです。

一部断面の変わるところがあります。大断面は延長されたトンネルと聞いています。

トンネルを抜けると池子地区から久木地区になります。このトンネルができたおかげで、火薬庫に通う工員や兵士が逗子駅へ行きやすくなったそうです。

トンネル名称板がありますが、草木に覆われていて読めません。アルファベットで新久木トンネルと書いてあるはずです。きっと。

この先正面は開けていますが、当時は森になっていて鬱蒼としていました。この先右カーブを行くと谷深くなり、谷戸という谷戸に火薬庫と引込線が敷設されていました。

上の写真で開けた辺りから神武寺駅方向を見た写真です。ココからスイッチバックする形で谷戸に入る最初の積込線が左側に分岐していました。

谷戸(やと)とは丘陵地帯の谷間の地形を指す言葉です.

深い谷戸を形成しています。ココは高地谷と言う谷筋で、更に谷戸毎に合計3棟の火薬庫がありました。下に目をやるとなんとなく線路っぽい感じがします。

レールがありました。

もう少し進むとクロッシングもありました。

少し進むと、大谷石の様な物があります。左側が軌間外で積込ホームの基礎でしょうか?

レール頭部はすり減っておらず、新品レールが用いられたのでしょうか。

谷戸の行き止まりには火薬庫がありました。火薬庫はとっくに無くなっていて今は更地です。

高地谷の積込線を始め、この先谷戸ごとに積込線がありました。久木側の線路は谷間をさらに奥へ線路が続いていましたが、この時は時間がなかったため、ココで引き返しました。

この様な線路配置であったようです。搬出線路の青線は線路敷ではありません。作画の際色を変えるのを忘れてしまいました。

さて、せっかくの旧基地内なのでちょっと観察しながら戻ります。標識はアメリカンな感じです。

消火栓もアメリカンです。

弾薬庫があったためこのような看板もあります。

公衆便所は下が開いている海外仕様です。

っと言うわけで、一通り観察してゲートの横を通り帰宅します。秋になりもう少し涼しくなったらまた探索に行ってみようかと思います。