我が家にはとてもお見せできない、もう一つのモジュール「新幹線モ
ジュール」がありまして、2年程前地震で立てかけてあったモジュール
が倒れて部分破損し、暇を見ながら修理してました。
が、暇が無いので進まず、ストラクチャーを移設して現在製作中のモ
ジュールへ組み込んでしまおう、と言う事にしました。
▲もともとは築堤でしたが、壊れたので高架化にしました
いつものバス通りですのであれこれ考えず、サクサクっと行くのが今
回の方針です。とりあえず、取りやすい建物から剥がしまして、ザザッ
と並べてみました。
モジュール1台/1.5ヶ月なんていう目標もありましたが・・・
モデル
吉沢駅の屋根に使うスレート材は倉庫に持っていってしまったようで、
取りに行くまで工事ストップです。
で、信号所の方のモジュールを・・・出入庫線側の山をもう少しせり出さ
せました。
▲発泡スチロールで軽く成形
▲以前のは擁壁も撤去しました
信号所の出入庫線界隈はモデルとなる場所がなく、なかなか地形が
決まらないので延々と進みません。以前「好きなシーンの空想化で模
型を製作・・・」と書きましたが、「見た事のあるシーンを良い所取り」み
たいな感じでモジュールを製作してます。
ヘッポコ鉄道メインストリートのバス通りですが、このモデルは実際に
ありまして小田急多摩線沿いの通りなんです。場所で言うと川崎市麻
生区白鳥2丁目になります。
▲ヘッポコ少年には何故か印象が強く残っていました
今から30年近く前、ヘッポコ工場長が小学生の少年だった頃、小田急
多摩線から見たこの風景がエラク気に入りまして、いつかこんなジオ
ラマを作りたいと思いつつ早30年と言ったところです。勿論、自分の作
りたい道路拡幅工事も入れ混ぜちゃいました。
昭和50年代前半の小田急多摩線沿線はまだ「街」が未完で、山、空き
地、造成地、新築住宅があり、まさに「模型」を作ってる様に映りました。
▲実際の通りにはバスは走ってないです
そんなある日、いつもの様に多摩線へ探検に行ったヘッポコは、ある
刑事ドラマのパトカー大行列の撮影現場を目撃しまして、迫力の凄さ
にそのまま気絶する所でした。鎌倉で「俺たちの朝」のロケ現場は2~
3回目撃してましたがそれ以上の衝撃でした。もの凄い人達と車で、人
も車も通行止めにして大がかりなロケでした。
▲左端の小学生は子供の頃のヘッポコかもしれません・・・
モデルとなるシーンがあれば、意外と早くモジュール作れるんです。
早速手直し
いつも通り、検討をロクにせず製作してるため製作中に気になる事が
出てきまして、手直しを。
斜め道路に対して線路と民家が平行している単調さが気になり始め、
お手軽で行こうと思っていましたが実物に近づけるべく手前の民家を
斜めにすることに。
▲実物の民家.手前が多摩堤通りで右側が吉沢駅跡地.
このお宅の線路側の塀は砧線が走っていた頃のままで、当時の写真と
同じ塀です。昭和43年頃このお宅は2階建てになった模様.
▲街コレを流用しているため、道路側が太ってますがその辺は・・・
土台をバルサにしたため、プラスターがガッチリかんでおりカッターで
地面剥がしをした後、民家自体にも若干角度を持たせ斜めに接着し直
しました.でも、実物の様に鋭角な角度を付ける事は出来ませんが手
前に路地を持ってくる事が出来そうです。
ホームの高さを見るため、購入後一度も箱から出していなかったデハ
80形が登場♪砧線はデハ60形しか入線してませんでしたが、製品が
出ていないので代用ということで。
ちなみに、リトルジャパンの購入検査標の日付が2004/09/19というこ
とで、買ってから3年後に漸くシャバへ出てきたデハ80くんです♪
▲このアングルの現在地が↓です
▲画面奥の信号が多摩堤通り.歩道内マンホールのある所に画面
左右方向へ今でも水路があります
▲現在の水路.当時は農業用と思われますが、現在は暗渠になり
都市河川になってます.
ついでに中耕地3号踏切のあった多摩堤通りの様子です。当時の道
路幅員のままでして、当時から相当広い道路を形成していた事になり
ます。
▲右から車が出てきた辺りが線路敷で,左側が吉沢駅のあった場所.
▲もう完成した気分で妄想の世界です.(バスはD-Trainさんから頂
きました)
やまだたにさんの仰るとおりで、こういう事をやっていると先に進まな
いんですよね・・・(^^)
現地調査の帰りにはお約束「玉電に出会える店 SOVA処 大勝庵」
にて食事をしました.店内には、70形の運転台をはじめ玉電関係の
ものの他に、吉沢駅周辺の当時の写真や航空写真まで飾ってあり大
いに参考になりました♪