特急ふじさんに乗車して町田ヨドバシへ

先月末ですが、関東では町田のヨドバシカメラにしか在庫がない商品があったため、町田のヨドバシカメラに買い物へ。が、そのまま行ってもつまらないので松田駅からロマンスカーで向かうことにします。以前、同じく「あさぎり号」に乗車して新宿のヨドバシカメラへ向かったこともありましたが、あれから13年経ちました。前回のレポートはコチラを。
まずは、朝ラッシュ時の大船駅から東海道線で下ります。先頭車両や最後部車両は座れるのでハザで向かいます。

30分ほどで国府津駅に到着です。国府津駅はそこそこ降車客がいました。国府津車両センターから、特急湘南の回送列車が立て続けに小田原へ向けて出庫していきます。

20分ほどの待ち合わせで御殿場線へ乗り継ぎます。もう少し後の東海道線でも全然乗り換えが可能ですが、着席したかったため余裕を持って到着しました。御殿場線は日中は1時間に1本、朝ラッシュ時でも1時間に2本とかなり減便となりました。

直ぐに列車が入線してきました。ロングシート2連とクロスシート2連の4両編成です。

御殿場線経由三島行きの方向幕です。LEDに改造されてしまうのでしょうか。

車内はご覧の通りですが、出発間際になり学生さんでいっぱいになりました。

出発するとすぐに富士山が見えてきます。

国府津車両センターには鶴見線の205系が大量に留置されていました。朝ラッシュ中なので予備車などを残して車庫の中はすっからかんです。

途中交換待ちなどがあり、4駅を15分ほどで松田駅に到着です。

駅舎は新しくなっていました。

13年前に来たときは国鉄然とした地方駅舎でしたが、建て替えられていました。横にあったストアーもなくなり、入口の位置も若干変わっていました。駅のレポートは別の機会に。

改札には自動改札機がなく、簡易タッチ機があるのみでしたが窓口は健在です。窓口があるのでココでロマンスカーの特急券を発券してもらいます。

今回の目的はこの硬券で、硬券は存在です。あさぎり号の運転終了や乗り入れ区間の縮小、運賃改定などターニングポイントは何度かありましたが廃止されず残っています。

特急券部分は硬券で、指定席券部分はマルス発券によるものでした。前回は85ミリ券でしたが、今回は横長の120ミリ券になっていました。

以前の乗車券は硬券でしたが、残念ながらマルス券になってなっていました。町田まで行く予定でしたが、連絡運輸範囲の協定上特急停車駅しか発売できないようです。相模大野駅と町田駅は同じ運賃帯なので実際は町田駅までいけました。

前回来たときは曇りでよくわからなかったのですが、ホームから富士山がよく見えます。列車は定刻通り入線してきました。ココでJR東海から小田急へ乗務員の交代が行われます。やってきたのは6両編成で、前面にはデビュー15周年の記念シールが貼られていました。

9時15分発、特急ふじさん2号です。前回乗車した時は11時台でしたがこの時間帯の列車はなくなってしまいました

松田駅から乗車したのは10人ほどです。車内もご覧の通りですが、ネット予約状況を見るとかなり乗車があるので、このあと新宿へ近づくと混雑してくると思います。

MSEの乗車は初めてなので車内を見て回ります。車内にはかつての車内販売のカフェカウンターの名残がありました。元々売り上げは減っていたようですが、コロナがとどめを刺した感じです。ロマンスカーは「走る喫茶室」を名乗っていましたが寂しい限りです。

見本やお菓子などがが入っていたであろうショーケースにはVSEの写真が飾られていました。

飲み物の自販機があり、収入増に協力するため購入することにします。

が、10円釣銭切れのため購入できませんでした😂
交通系ICが使えればよかったのですが、現金主義のようでした

35分で相模大野駅に到着し、1分ほど停車して出発していきましたが、ココから乗る旅客が結構いました。

ココから1駅お隣町田駅まで移動します。

町田駅に到着した列車は新宿側の引上線に入り、折り返し各停藤沢行きとなっています。

そして、目的のヨドバシカメラに到着し無事に購入できました。帰路は小田急線の快速急行藤沢行きに乗車し藤沢経由で30分程で大船駅に到着したので往路の6分の1の時間でした。

帝蚕倉庫建物とみなとみらい線

帝蚕(ていさん)倉庫というレンガを使用した建物がみなとみらい地区にあります。横浜生糸検査所附属倉庫事務所が正式名称で、帝国蚕糸倉庫株式会社という会社が事務所や保税倉庫として使用していました。みなとみらい地区に旧建物が現存していますが現在は倉庫としての機能はしておらず事務所棟が残る程度ですが、仲北地区の再開発に伴い復元された建物も存在します。

コチラは24年前に撮影した帝蚕倉庫の事務所です。この写真でタクシーのいるあたりから撮った写真が上の写真です。

現在同じ場所で撮影しようと思うと3車線道路の真ん中となっていしまい、しかもみなとみらい線の日本大通り駅の出入り口が邪魔をして撮れません。

こんな感じです。

建物入口には帝蚕倉庫の看板が残っています。

他の棟は一旦取り壊されたあと部材を使用して復元され、その上に高層マンションが建てられています。

元々の倉庫だと新耐震には耐えられないかったので復元建築となりました。

横浜ビルボードライブなどがテナントとして入っています。

ココの地下はみなとみらい線日本大通り駅になっています。計画時は地名の仲北駅となっていました。コンコース内はドーム状の意匠が特徴です。

そんなみなとみらい線は明日で開業20周年です。早いものです。

穴八幡宮参拝から都電へ

今年も早稲田にある穴八幡宮へ「一陽来復」という御守を頂きにお参りしてきました。我が家は昔から商売をしているので、この一陽来復とお酉さんは毎年譲受しています。

一の鳥居の根元が遠くから見ると猫の足に見えるのですが、実は鳥居が亀さんの上に載っています。

こばるの提灯を思い出します。

以前は古風な本殿でしたが、30年ほど前に建て替えられた立派な作りになりました。この日は大安で天気も良かったです。「一陽来復」は冬至から節分の間に買うことができ、大晦日の晩か節分の晩にその年の方角に向けて御守を壁に貼ります。恵方巻を向いて食べる方角です。

御守のほかお札なども頂いて帰ります。

今年のではありませんが、このようにその年の方角に合わせて御守を柱や壁に貼ります。

穴八幡宮、またの名を高田八幡宮と言います。

坂の途中に立っているので、本殿裏側は自家用車を乗り付けてご祈祷などをするための入口がありますが、ココ数年御守がものすごい人気が出てきたため、一陽来復の期間中はコチラが側からの入場が制限されています。以前はクルマで行っていってこの中に止めていましたが、ここ数年は電車で行ってます。この日も御守を求めて中国、台湾からの参詣客もいました。

本殿へ向かって相当階段を上がります。この崖を成形しているとき穴がありその中から黄金の像が出てきたことをお祀りしたのが始まりと言われています。

大安ともなると行列ができるのですが、この日は大安にも関わらずご覧の通りガラガラでした。やってきた参詣客も「えっ?」ってみな口々に言っていました。社務所で御守をもらうのに並び、本殿でお参りするのも並び大体半日かかりますが、拍子抜けでした。

露天もたくさん出ていますが、子供向けの露天ではなくどちらかというと開運系のグッズなどが多い感じです。

コロナ中は露天がなく手水舎が見えていました。

今はぎっちりです。招き猫やトウガラシ、高島易団の暦など大人向けの露天です。幸運を呼ぶまねきねこの露天はジオコレにはないです。逆に、やきそば、たこ焼き、ケバブの類は全くありません😂

柚子飴美味しそうです。コチラもジオコレにはない露天です。

ココはいつも購入している根付の御守を売っているところです。

お参りを済ませ、東西線、湘南新宿ラインでそのまま帰ってもいいのですが、久々に都電にでも乗ろうかと思い10分ほど歩いて都電早稲田停留場に到着です。

都電はいまだに土曜ダイヤが存在するようですが、見た感じ休日ダイヤより朝7、8時台が若干多い感じです。

早稲田駅は終点なのでコンクリート製の車止めがあります。

発条転てつ機になっていて、転てつ転換機は今どきの角ばったヤツになっていました。右側は降車ホームで、奥の部分はラッシュ時など続行運転となってしまい、先端までたどり着けない場合に使用する降車ホームです。電車がやってきました。

均一運賃で現金170円、IC168円です。都営地下鉄の初乗り運賃は180円、都バスに至っては210円、学バスでも180円なので、一番安い運賃で都内長距離を移動で来ます。

運転席の後ろにクロスシートがあると思ったら優先席だったので座るのはやめました。ココから3つ目の鬼子母神前まで乗車します。

地下鉄に乗り換えるため鬼子母神前停留場で下車です。ココの下を地下鉄副都心線が通っており、鬼子母神前停留場と雑司が谷駅は乗換駅となってます。

こんなのが走ってきましたが、つかささんとたろうさんによると、水戸岡さんデザインの電気コミュニティバスだそうです。イケバスと書かれていまして、最高速度は19キロと表示されていました。

この先の写真中央の谷底部分は、石立鉄男主演のドラマ「水もれ甲介」が住んでいる設定になっていました。家は実在していましたが、環状5の1号線という道路用地内となってしまい買収により現存していません。
環状5の1号線のこの辺の区間は地下構造のため、ちょっと前まで道路上に鋼製覆工板が敷き詰められていました。現在鋼製覆工板は撤去され、アスコン舗装があたらしくなっており、トンネルの躯体構築が完了し埋め戻されていると思われます。地上から都電、地下は環状5の1号線、その下を地下鉄副都心線という三重立体構造になっています。

ヘッポコ工場長は隣の学習院下停留場との間に親戚が住んでいたため、子供のころよく遊びに来ていました。以前の停留場は踏切を挟んでオフセットして設置されていましたが、現在は道路工事の進捗により早稲田行き側の停留場が移設され普通の相対式になっています。

雑司が谷駅から帰宅しましたが、環状5号線がこの副都心線の上を抜ける分、とにかく地下が深かったです。