いよいよ明日・・・

春は創生の季節なのに鉄道は毎年無くなるモノばかりです・・・
銀河以外にも関東地区から無くなるモノが・・・多すぎです!
「ゆとり」こと元「サロンエクスプレス東京」は出た時の印象がかなり強
烈でした。「鉄道ファン」に中間車だけ先行竣工していた写真が載って
いて、それを見た時は驚いたなんてもんぢゃありませんでした。
この写真は、1983年10月に「サロエクスプレス踊り子」として運転し
ていた時の様子です。
この年は夏に臨時踊り子として14系客車の「踊り子51,58号」、シ
ナ座のスロ81系による「お座敷踊り子」といろんなパターンで運転され
乗り鉄としては、かなり忙しい年だったと記憶してます。
サロン
▲サロンエクスプレス踊り子として運転し,回送待ちの列車.
サロン踊り子
▲サロンエクスプレス踊り子として下るSET
サロン時代は、サロン踊り子と知人の貸切で2回乗車しましたが、結
局「ゆとり」となってからはカメラを向ける事もなく、乗る事もなく終了し
ました。
そして、サロンとはナイスペアだったEF5861は今年に入り交検も受
けてましたが、引退の噂が絶えません。
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201系については10年ほど前から取り付けられた特大行灯が気にな
り、デジカメではこの1枚しか記録に残っていません。関西に行けば走
ってるし・・・
お茶の水
しかし、登場した時はあのブラックフェイスが子供心をくすぐり、かっこ
よさについては強烈な印象でした。
1982年夏に西国分寺あたりで201系を待っていました。しかし、来る
のはコレばかり・・・
暑さにめげ「まぁ、これから本数が増えるからいつでも撮れるな」と思っ
てから26年!も・・・遂にまともに撮った記憶は無く、ポジも多分ない
と・・・
103系
▲これはこれで貴重な1枚となりましたが・・・
来年度末はまた後悔しない様にしなきゃ!
いつもの、ガキの写真でお許し下さい。

寝台の思い出-はやたま-

どうにもこの頃から関西方面にチョロチョロと・・・
冬休みで紀伊に乗車後、情報提供者である同級生でお父さんが国鉄
マンのお家へお土産持って遊びに行きました。
「10系寝台も乗ってくれば良かったなぁ?来月であれも終わりだよ」と
は、非番で昼間家にいたお父さん。10系寝台はGMキットのカタログ
でしたか見た事無い・・・乗ってみたい・・・お年玉シーズン♪周りの心
配をよそに、早速翌週再度関西へ・・・
さて、その10系寝台の件とは天王寺から亀山まで行く普通列車!に、
天王寺-新宮間のみ寝台車が連結されるという列車で、普通列車にも
かかわらず「はやたま」という列車愛称名がついてました。寝台2泊は
キツイので新幹線で向かったと記憶してます。
環状線を乗り継ぎ始発となる天王寺駅へ向かいます。
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▲くろしおの回送.左はキハ58の編成,右は非冷房の103系.
天王寺駅でショボイ写真を撮ったり駅構内をウロウロしていると、やが
てホームに郵便荷物車+雑客3両+オハネフ12 2079というお目
当ての「はやたま」がやってきました。
天王寺
▲廃止1ヶ月を切っているのに撮る人は疎ら
14系寝台で目が肥えたヘッポコには、ボロ寝台としか目に映りません
でした。寝台は上段で幅は50センチほどで横になるといっぱいの幅で
す。車体もかなりくたびれてます。
しかし、10系寝台を初めて見て感激をしたのは言うまでもありません。
はやたま
▲今でも,走るんだったら乗りに行きたいです!
寝台も狭く、上段は窓もなく、駅に着くと何度となく降りて写真を撮って
ました。乗降用のドアは自動ではなく、走行中でも開いてしまう手動!
しかも最後部は、↑の様に転落防止のチェーンがあるだけ。のんびり
してました。寝台は名残乗車でそこそこ乗ってましたが、ハザの客車
は1両に5~6人だけです。
オハネフ12
どのくらい乗った事か、漸く夜が明けてきましたが1月は寒い。暗くて
写真もあまり撮る気にはならず、新宮でオハネフ12は切り離しとなり
普通車へ移動です。
単線なので行き違いで止まると10分以上止まっていた記憶がありま
す。久鬼駅では、DD51重連の貨物列車が旅客車をかわし、ノンスト
ップで通過してきました。
寒いので車内からの横着撮影ですが、今は窓すら開かないですから
ね。
久鬼
▲長時間停車に名残乗車の人たちも降りてました
車掌車
▲車掌車も懐かしいです
こちらの写真は別の駅だったか・・・寒い窓を開け、前方を覗き込むと
交換待ちに合わせ、小手荷物の積み卸しをしてました。こんな光景は
当たり前でしたが、今思うと風情があったように思います。
いつの間にか見掛けなくなりました。
積み卸し
▲宅急便はまだまだの時代,当たり前の光景でした.
出発監視
▲発車後も車掌さんは側開戸あけて出発監視中です
同じ景色&狭い寝台とのんびり普通列車で疲れがたたり眠っていま
して、松坂で下車し名松線で伊勢奥津へ。平気で線路に降りて写真
撮ってましたが怒られる事はありませんでした。
名松線
▲キハ58+キハ30の2両編成
その後キハ40だっけな?に乗車し、ラキこさんの地元日本一短い駅
名に感激して駅名板をいれて撮った津駅。
津
▲ガキのセンス・・・
津駅からは、四日市行きに乗り継ぎ、最終的には名古屋から新幹線
での帰宅となりました。
四日市?
▲多分四日市だと思いますがとにかく大好きだったキハ35系!
ヘッポコ工場長にとって10系寝台に乗車したのはこの時が最初で最
後でして、「はやたま」は、この数週間後1984年1月いっぱいで寝台
車の連結をやめました。

紀伊下車後

紀伊下車後も見たいとか・・・メールありがとうございます(-_-;
と言う事で、今回は3通も!リクエストメール頂きました。マジショボイ
ガキの写真が続きます・・・紀伊を見送ったあと、キハ58などを連ね
た列車に乗車して和歌山へ向かいます。前日殆ど寝てないためと寒
さに弱いため、キハの中では爆睡してました。
鳥羽?
▲コレの折り返しを待ってた記憶
で、いきなり和歌山に到着です。急に単体の望遠とかセットしちゃって
るので画角に入りきりません。キハ58の4両編成が回送で止まってま
したが、そば食べてる間にもの凄いアイドリング音がしたので慌てて反
対側に撮りに行きましたが、走り去っていきました。
快速
▲2両目にはグリーン車が入ってます!
和歌山からは大好きなキハ35系の和歌山線に乗車です。この頃部
分的に電化工事が始まっているというので、こちらの乗り収めも兼ね
てました。この頃の和歌山線は和歌山市駅まで直通でした。
和歌山線
▲方向幕は「五条-和歌山市」となっています
ちょっと前まではよく見掛けた光景です。JRになってからは駅舎のリ
ニューアルが盛んに行われ、黒っぽい古い駅舎は見掛けなくなりまし
た。
立ちはじめた架線柱が「ショボイなぁ」と思ったら、国鉄末期財政難の
ため直接吊架の架線仕様というのを、5年位経ってから知りました。
妙寺
▲架線柱が立ちはじめた妙寺駅
高田駅まで行き今度は桜井線に乗り換え奈良駅へ向かいます。113
系は「湘南色の方が断然格好いい!」と思ってあまり撮る気になりま
せんでしたが、今思うと惜しい事をしました。
高田
▲高田駅にて.中線にワラ・トキなんて普通に留置してありました.
10t
▲スイッチャーなんかにも目をやってました!
途中駅何度か下車しながら奈良駅へ到着。103系なんかを見ながら
快速へ乗車し大阪駅へ向かいます。
103
快速
▲奈良駅から大阪へむかいます
今回の紀伊について、情報を教えてくれた同級生の家にお土産を買
い、新大阪から新幹線で帰宅となりました。
しかし、このお土産がさらなる乗り鉄事態に・・・