東急旧3000系【緑の電車】
東急目蒲線、池上線で元気に走っていた緑色の電車、東急旧3000系が営業運転を終えてから3月18日で30年になります。平成が始まった年でした。
東急目蒲線
3月の上旬、池上線を走っていた3000系は目蒲線より一足先に全車ステンレスカーに置き換えられて、緑色の3000系は全て目蒲線に集結しました。
朝のラッシュが終わると、検査のため奥沢の車庫に列車が帰って来ます。狭い車庫なのでスイッチバックを何度もしなければなりません。しかも、車庫内のポイントは全て手動なので転てつ手の誘導で入換運転です。
末期の3000系は引退を記念して、昭和40年頃の黄色と紺色のツートンカラー(復刻塗装)を施された編成もいました。一番右の洗浄台にいるのがそのツートンカラーです。この洗浄台に入線するには2回スイッチバックしなければならないため、入換の時は前後に構内運転士が乗っていました。
3500形はあまり好きで無かったので写真はそれほど撮っていないのが悔やまれます。今のようにデジカメであれば何枚でも好きで無い形式の写真が撮れたのですが。この時は車庫に入れてもらえたので気合い入れてポジフィルムで行きました。
東急池上線
池上線ではその半年ほど前に、3000系を貸し切って結婚式を挙げていた方がいらっしゃいまして、車両にはヘッドマークまで掲げられていました。通好みの3452Fの編成が使用されていました。
緑色の電車は全て非冷房で今では考えられません。しかし、サービスの一環として5月~9月頃まで朝のラッシュが終わると、雪が谷大塚駅で冷房車に車両交換が行われていました。上の写真では奥に7200系がスタンバっています。
車両交換のときは一旦入換合図で冷房車を前に追いだして、到着した3000系からお客さんを降ろした後車庫に引っ込め、再び入換合図で冷房車をホームに戻すという労力。
3000系には列車無線が装備されていないため、駅員さんから受け取る運転通告券により指示を行っていたようです。11時頃の7運行がそれに当たり、いつもなら雪が谷大塚駅の場内信号機が進行信号なのに、注意信号だと運転士も「ラッキー」と思ったに違いないです。
荏原中延駅付近の立体交差化工事の竣工に合わせて、7月にスピードアップ化によるダイヤ改正が行われます。その間、予備車が1編成足りなくなるので緊急予備車として3472Fが配置され、事実上3000系が去ったのは1989年7月でした。7月までの第1と第3土曜日にベアリングのなじみや、各部品の動作試験を兼ねて五反田~蒲田間で1往復試運転が行われていました。
緑の電車終焉
3000系の置き換えは奥沢から3両編成を2編成連結させ6連で長津田まで回送運転という、最後はサービスたっぷりな迫力ある演出でした。長すぎて見誤ってお尻が切れてしまいました。
クハ3856など何両かは、長津田検車区の奥に数年間留置されていました。平成5~6年くらいまで居たと思います。