三河島事故【59年目】

三河島事故

1962年(昭和37年)5月3日の21時半過ぎ、常磐線三河島駅の終点方で二重衝突事故が起き死者160人という大惨事です。一度は聞いたことがある事故名と思います。


事故は、写真右側の線路が第一の事故発生地点で、最初に停止信号を見落とした貨物列車がこの砂利盛りに突っ込み脱線。次にこの写真を撮っている線路に下り旅客列車がやってきて、脱線した貨物列車と衝突して脱線。この時点での負傷者はそれほどでもありませんでしたが、5分後に左から2番目の線路に上り旅客列車がやってきて脱線し、前2両は盛土から下へ転落してしまいました。

この付近を下から見るとマンションの3階の高さに線路があります。60キロくらいで走っていた列車がこの高さから落ちるというと想像するだけでもアレです。貨物列車と衝突した最初の旅客列車から、乗客が車外に降り多数線路上を歩いていて、そこへ上り列車がやってきたため、犠牲者は線路上を歩いていた人が相当人数になります。

三河島駅北側にある浄正寺には犠牲者が沢山収容されていたそうで、慰霊碑が設置されています。ヘッポコ工場長も今日お参りに行こうかと思っていましたが、都内は緊急事態宣言がでているため、解除後に行こうと思っています。

▲2007年撮影.

この日は午前中に先日と同じような宮城県沖を震源とする大きな地震があり、常磐線は終日ダイヤが乱れが続いてました。通常なら通過できる三河島駅は、遅れている旅客列車が先行の順序通りとなるため貨物線の出発信号機は停止現示となっていたにも関わらず、錯誤等により見落とし脱線したのが最初の原因でした。

インターネットには書かれていない背景や、三河島事故の予行演習とまで言われた全く同じ事故が更に15年ほど前に起きていて、その辺の事情はコチラの書籍に詳しく書いてあります。興味のある方はご一読ください。

60年近く経った今も事故の犠牲者の中に1人だけ身元不明人がいます。なくなられた方のご冥福をお祈りいたします。