奈良・大阪へ-後編-

仕事を終え、夕方大阪へ向かいます。途中石切駅で急行に乗り換えるため降り立ち、生駒トンネルを観察。

ホーム先端が狭くてあまり良く撮れませんでした。この後は仕事が待っていたのでテツは終了。

明けて翌日。時間があったのでアベノハルカスへ。

入場に手間取るかと思いましたが、特に並ぶことも無くそこそこです。エレベータは上側がシースルーになっていて・・・コレぢゃぁなんだか分かりませんね(-_-;

スゴイ景色です。遠くは明石海峡大橋や関空まで見える様ですが、若干霞がかっていて見られませんでしたが、6月にコレだけ見られれば満足です。

天王寺駅横の交差点。ビルの屋上なんかも観察します。

近鉄線も見えます。一番右側は引上線のようです。

JR環状線や関西線も見えます。

阪堺電気の芝生軌道が見えます。最近道路と共に整備された様です。

併用軌道と専用軌道の変わり目も上からならよくわかります。1時間ほど見学したあと、降りました。

時間があれば阪堺電気乗りたかったのですが、今回は見るだけ。

続いて日本橋のジョーシン、ポポンデッタへ。

阿波座へ向かうもレールクラフト阿波座は定休日だったという為体。再び近鉄へ乗車します。

コイツが来ました。

布施まで行って所用を済ませ、再び近鉄に乗って鶴橋駅経由で新大阪駅ヘ向かいます。

鶴橋駅で下車し、昼食を摂ります。


鶴橋駅構内にあるブックオフ専用改札。

帰路もあまり写真は撮れず、新横浜駅乗換で帰宅しました。
今回は探していたトミーのヨ8000が購入出来たほか、後輩T君が買っていたコンテナダンボー、隠密さんのレビューにあったカトーの新しいリレーラー線路踏切を購入しました。

-おわり-

“奈良・大阪へ-後編-” への6件の返信

  1. お晩でございます
    近鉄といえば親戚縁者が奈良線と南大阪線にいたので乗った路線の一つです
    でもあの当時奈良線は8810系より前の時代で8600系が冷房車の頂点
    その次に8000系の非冷房に当たったものです
    生駒線では820系に当たることも多く800系は1~2回しか乗ってません
    (その後行かなくなってから生駒線が大型車両化されたんです)
    南大阪線も6200系が冷房車の頂点で
    6020のラインデリア車やラピッドカー増結単車に乗ることが多かったです
    (あべの橋の改札が当然上り先頭車だったので…)
    6200+6850でも6850に乗る方が多く6200へ行こうとすると
    『ちょろちょろすんな』と言われたものです
    それでも6850の冷房改造車にも1~2度はあたったし
    パンタ位置か2種類あるのもそれぞれ乗れました
    今となってはいい思い出ですね

    1. >南栗橋車両管理区荒川支所さん
      南大阪線まだ乗った事無く、何れ挑戦したいです。
      しかし、近鉄は制御器によって形式が変わるとかで、形式言われてもサッパリです(^^;
      スミマセン・・・

  2. シリーズ21の1世代前で界磁チョッパ1400系・8810系と
    その3R版2050系はそうでもないんですけど
    VVVFとして作られた初代1420系の量産形式である
    2R版1220系G
    4R版1420系G(南大阪線系では6400系Gが対象形式)
    6R版1020系Gは細分化しすぎて訳がわかりません
    (ワンマン化・台車変更等の度形式変更してます)
    第1世代の抵抗制御車系はそんなに難しくはないです
    ただ第2世代の『功』は大阪・名古屋線と京都・奈良線系で
    仕様が違う車両だったものを統一した功績が大です
    (奈良線の第1世代車と大阪線の第1世代車で比較すると
    奈良線が209系500のような車体断面に対し
    大阪線は209系0のようなストレート車体断面です)
    さあ、近鉄の『沼』へ入りましょう(笑)

    1. >南栗橋車両管理区荒川支所さん
      ピクの増刊号見ましたが、サッパリです(^^;

  3. お晩です
    そんなに乗らない鉄道会社ですけどなぜ車種知識があるのかというと
    ガキの頃公営図書館に行って『誠文堂新光社・私鉄電車ガイドブック』の各鉄道会社を
    よく読んでたものでして…
    あの頃の近鉄は『第1世代車』が幅をきかせていた時代です
    書籍を読んで研鑽を積む
    これは今のネット時代でも重要だと思っています

    1. >南栗橋車両管理区荒川支所さん
      最近は記憶力も衰えて、全く頭に入りません。

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