東急旧3000系事業用車たち
3000系列の事業用車はレール運搬車など相当数の形式が有ります。比較的末期まで居たのは電動貨車のデワ3043、架線検測車のデヤ3001と動力車兼用だったデハ3499、籍はありませんでしたが電気機関車のデキ3021です。特にデヤ3001とデハ3499は営業車として3000系が消滅しても動力車として残っていました。
デワ3043
デワ3043はボギー電動貨車の3代目で、10年程前まで長津田工場の入換車として活躍していました。元はデハ3498両運車でしたが、小荷物輸送量の減少とデワ3042の老朽化に伴い、最小限の改造で誕生した荷物電車でした。
営業の小荷物取扱終了にともない、長津田工場の入換車に抜擢。初期の頃は黄帯に書かれていた「荷物」の標記のみを消した程度でしたが、後年はツートンカラーの復活塗装もどきとも言い難い色になり、山側の中央扉が両開きに改造されました。
デヤ3001
あまり光線がよろしくありませんが、架線検測車として走っていた頃です。元はデハ3551で片運車でしたが、元住吉で両運化改造され1970年代の私鉄としては珍しい架線検測車として誕生しました。
後追いです。増設運転台側です。本線上から3000系が消えた後も、このデヤ3001とデハ3499はペアを組んで、車両回送などに活躍します。
新造車搬入や譲渡車搬出の際は長津田の授受線で活躍しました。終点方のパンタグラフは検測用のため、検測時以外はスリ板にシートがかけられていて、電気部の係員が操作していました。
ATCを搭載していなかったため、ATC付きの新型電気検測車が完成すると架線検測車としての役目を終えます。イベントなどで利用された後、新天地へむけた改造のため新デヤにアンコにされて長津田工場へ向かいます。
新天地、東急車輌製造へ譲渡され牽引車として各種新車搬出に活躍していました。新旧3001号車が顔を合わせた瞬間です。
デハ3499
デヤ3001の相棒デハ3499はデハ3450形の両運車で3450と前述の3498と、この3499の3両が両運車として存在していました。1980年代前半までは編成に組み込まれていましたが、その後動力車としての役目に比重が置かれ、入場中の車両があるときはピンチヒッターで編成に入る感じになりました。
現在はボランティアによる保存団体で、大切に修復作業が行われています。
デハ3450
デハ3499がデヤ3001とペアを組む前はこのデハ3450とペアを組んで「ごーまるきゅーきゅー」と呼ばれていました。デハ3450形のトップナンバーで、上り方は折妻非貫通の前面です。1970年代後半頃、屋根改修が行われ水切りなどが無くなり屋根周りがスッキリとした印象になりした。
日車独特のアンチクライマーが武骨さを出しています。そしてモハ510形に復元されて宮崎台の電車とバスの博物館に展示されています。
デキ3020
今までの3000系とは毛色がちょっと違いますが、電気機関車デキ3021です。同型機が山形交通にいて尾花沢市辺りに展示されていると言うことで一度見に行ってみたいと思い早10年。まだ有るのでしょうか?この車両は上毛に引取先が見つかり、今でも大胡の車庫でイベント用として活躍しています。
上毛でも大切にされています。
無蓋貨車ト3070他
貨車には無蓋貨車のト3050、3060、3070、3090に加えレール運搬車のチ3090とチキ3095がありました。ト3050はホイルベースが短く、煽り戸が取り払われて専ら長物車のように扱われていました。その後本物の「チ」に改造された貨車もあり1970年代中期までに多く残ったのはト3070です。
この写真は現在の新丸子保線基地の前進に当たる新丸子砂利積み込み場です。奥に無蓋車が9両連なっています。
形式はとても判別できませんが、架線が張られているのが分かります。この頃はモーターカーの性能が発達していないため、レールや砂利を夜間運搬するときは、デキ3021+デワ3041の間にチキやトを挟んで運転していました。デハ3450や3498、3499が付くこともありましたが夜間は編成替えの関係でデワ3041が多かったようです。