我が家にはとてもお見せできない、もう一つのモジュール「新幹線モ
ジュール」がありまして、2年程前地震で立てかけてあったモジュール
が倒れて部分破損し、暇を見ながら修理してました。
が、暇が無いので進まず、ストラクチャーを移設して現在製作中のモ
ジュールへ組み込んでしまおう、と言う事にしました。
▲もともとは築堤でしたが、壊れたので高架化にしました
いつものバス通りですのであれこれ考えず、サクサクっと行くのが今
回の方針です。とりあえず、取りやすい建物から剥がしまして、ザザッ
と並べてみました。
モジュール1台/1.5ヶ月なんていう目標もありましたが・・・
踏切入手
クモニの時の様に「ジオコレの踏切~」とまた念仏の様に唱えていた
ら方々でご迷惑をおかけしてしまった様で申し訳ないです。結果的に
踏切はリトルジャパン祐天寺店にて入手できましたが、店主さま曰く
「もう問屋に在庫は無い」との事でした。
で、早速部材の確認を・・・出来がイマイチでした。全体の作りが太い
からかスケール的にも小さい様にも思えますが、高さは26ミリでジャ
ストです。しかし作りが雑です・・・踏み板は使えそうです!
砧線で使用されていた踏切警報機は京三製作所製で当時の図面を
確認すると、基礎天端から警報機上部までが3,910mmで150で
割ると26ミリになります。
部材は諦めて次へ進む事に。でも、またまた問題があり、この踏切は
4基遮断という構造になります。踏切を組み立てたことがある方は分
かると思いますが、遮断桿と錘の向きが2組合わないため改造しなけ
ればならずまたもや面倒な事になります。
玉電の踏切遮断機なんてココと二子玉川園2号の2カ所くらいかしら。
よりによってココに4基も・・・
ちなみに、日本で初めて自動遮断機が採用されたのは東急大井町線
の緑が丘4号踏切、その直後に戸越公園2号踏切にも採用されました。
今や当たり前の自動遮断機ですが、当時は国鉄ではなく東急が日本
で最初に導入してました。器具箱内部は機械腕木構造でしたが・・・
▲緑が丘4号踏切.今はなんでもない踏切です
サハ竣工
今年度の目標、2両/月などと掲げてどこ吹く風・・・今月1両目にあ
たる竣工車両サハ103が竣工しました。103系はまだM車が無いた
め編成試運転どころか連結状態の確認も出来ていません。
GMの103系は偽装どころか、100人がみたら150人が分かるくら
いの欠陥だらけで、素組でも時間がかかる状態です。D-Trainさんの
様にサクサクっと作れる根気が欲しいです。
今回クハはクーラーが屋根との一体成形になっているため、面倒で
すがマスキングして、クーラーと屋根を塗り分けました。
▲あと2両も施すのかと思うと・・・
工場内の艤装線はもう車両がイッパイでこれ以上留置できません。
脇見せず仕掛かり車両をコツコツと仕上げなければならない状況で
すが、車体置き場には既に103系の中間ユニットと、73系が
2両ありかなりギュウギュウの状態です。
▲奥がサハ103,真ん中のクモニは塗装待ち,手前はクハ103