相模大塚探索

先日のかつ丼を食べに行く途中、相模大塚駅から厚木基地専用線の方を見に行ってみました。

引上線はまだあります。奥に見えている駅はさがみ野駅です。

引上線からの出発は入換信号機で振り分けられているようで、進路表示機には「C1」と「セ」とあり「セ」は専用線の意味でしょうか。

厚木基地への米軍燃料輸送が終了となってから今年で20年になりますが、基地側からの入換信号機は今でも停止が現示されたままです。

上の写真の反対側です。L型フェンスの箇所には赤道があります。

入換信号機の背向に車両停止標識が設置されていてこの先は非連動だったようです。比較的低柱の信号機に対しても点検梯子が設置されていて、趣味的には面白いですが、裏を返すと組合がしっかりしている事業者だと言うことが分かります。

12年前、2006年に来たときの様子です。分岐箇所に茶色の家がありましたが、今回は無くなっていました。L型フェンスも設置されていません。

赤道は今でも通れる様になっていました。

基地側へ移動し、県道を横切る踏切部分には踏切警報機が設置されたままで、今でも稼働しそうな感じです。緊張が高まる中、日本に有事が発生した場合は使用が再開されるのでしょうか。

踏切から駅側を見ると街コレにある様な電路柱で、き電線は無かったようです。

基地側もヘロヘロ感が良い雰囲気です。ココは映画「スローなブギにしてくれ」で、古尾谷雅人が運転するバイクに浅野温子を乗せて線路上を奥の方から走ってきて2人で買い物に行くシーンで使われていました。今ではそんな許可降りないでしょうね。
映画は東福生駅の横に家がある設定で、貨物も含め八高線が出てきます。ラストシーンは八高線のキハ20に浅野温子が乗って、浅野がどこかに行ってしまう設定です。

更に先の踏切もまだありました。

器具箱が道路に張り出しています。クルマがぶつかるリスクが高そうです。

ッと言うことでこの先は行かずに、本線側へ戻ります。ちなみに2006年の時は基地内の石油取り卸し線に線路が続いていました。今は剥がされているようです。

 
本線側へ戻ると、保線基地があります。砕石のストックヤードのようでペイローダーや軌陸ミニユンボがいて、民地側は防音壁が設置されています。

この手の物置初めて見ました。中に何が入っているか気になります。右側のはトロ台車の高所作業用アタッチメントのようです。

門扉部分は防音壁が途切れています。

踏切を挟んで横浜側はピット庫になっていて、マルタイが入っていました。

油脂庫も良い雰囲気です。

コチラ側にも門扉があります。

雑然とした保線基地を期待しましたが、ちょっと残念でした。駅へ戻ると乗ってきた4+4の各駅が海老名から戻って入庫していました。


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東急電車まつり

先々週、東急の旧長津田工場で行われた東急電車まつりへ行ってきました。
こどもの国線は増発され3編成全てがかり出されそのうち1運用は4両連結運転を行っていました。

食べ物屋さんの屋台も沢山出ていますが・・・

西武の武蔵丘のように広くないので、混んでいる感じが凄いです。なので抽選制を採用していると思われます。

ブースはどこも大混雑。

で、何故か西武新2000の段ボールお面が。聞くところによると協力企業に西武が本業の電装屋さんが出入りしているらしいです。

東急テクノシステムの軌陸クレーンがいました。送電線とトロリー線が近い中でブームはこれ以上上げられないです。

2000系の妻面が見られただけヨシとします。

6扉車まだ残って居るんですね。


妻面の収穫が多かったです(^^;

板橋駅改良工事

DE10に引かれたトキ25000が沢山いたのをつい先日のように覚えている板橋駅ですが、その名残で側線が残っていました。しかし、ついに駅の改良工事が始まり様相が変わっていました。
板橋駅構内には、トキがゴロゴロ居た頃の側線が部分的に残っていて、この様にシーサスのダイヤモンド部分だけがあったりしました。

現在この部分はレールや砕石は撤去され、既に施工基面まで路盤が下げられています。

赤羽駅寄りには車止めなんかも残って居ました。

上の写真よりは若干池袋寄りですが、この辺は覆工板が敷かれています。切り土を行いおそらくこの部分に駅ビルが出来るはずです。

池袋方では、踏切を挟んで東上線北池袋駅の方まで引上線が延びていました。

ココもレールは既に撤去され、この場所には留置線が3本設置されます。どういう運用になるか楽しみです。