変わる豊洲駅

豊洲駅の中線

未成線とされていた東京地下鉄の豊洲~住吉間ですが、来年度から工事が開始されることになったようです。先日JAMの帰りに通った際、完成した中線を初めて見ました。

ちょっと前までは仮ホームが設置されていましたが、その前は開通時から路盤だけが完成していて長い間放置されていました。

中線敷設前、住吉方は仮壁で塞がれていました。

現在は仮壁が撤去されレールが敷設されています。

ホームから40m程先に車止めが設置されていました。カーブの辺りは地図で確認すると豊洲小学校辺りかと思われます。この先いよいよ住吉駅まで延伸されます。

上総一ノ宮の電留線

車庫モジュールをいじっていたら、急に上総一ノ宮の電留線が気になり見に行きたくなってしまいました。
大船からは午前中に1本だけ直通の列車があるのでコレに飛び乗り、一路上総一宮駅を目指すことに。

2時間強の長旅なのでG車で向かいます。

直通で行く予定でしたが、途中蘇我で貨物列車が来る時間で下車してしまい、蘇我からは209系になりました。

地方の中核駅な作りの駅舎です。

で、早速電留線へ向かいます。上総一ノ宮駅を降りたことはありますが、電留線は初めて見ました。
電留線は3本あり、E257-500の5連が停車中です。手前にあるシーサスで出庫のハズですが・・・

なんと!左手前のポイントにはトングレールがありません!

その行く先は安全側線になっていますが、3線分の安全側線を兼ねているようで、トングレールを省略してあえてこのような作りになっているようです。合理化を嫌っていた千葉地区ですが、この合理的な考えはスゴイです。

3線あるうち、本線から一番離れた1線は架線電気が切れるようになっているほか、パンタ点検台も設けてあるかなり重厚設備な電留線です。

普段はこの留置は無いと思いますが、夏の多客期ならではでしょうか。

草むしていますが、裏手が民地・民家のため、コンクリート製の第4種車止めになっていました。

車止め前面の橋りょう枕木は朽ち果てていて、何とも哀愁漂う作りです。

電留線の入り口には乗務員詰所がありました。清掃員の詰所も兼ねているようです。

電留線の観察が終わり帰りは「わかしお」にて帰宅です。指定席を取りましたが、自由席はかなり混雑していて、蘇我駅付近からは着席が困難な状態でした。指定で正解でしたが、いつもこのくらい房総特急が混んでいればいいのですが夏場だけです。

久々の四国関西-その3-

高浜駅をあとにし、松山駅方面へ向かいます。伊予鉄は海沿いを走る箇所もあったり景色もいいですが、塩害も大変だと思います・・・
この時点でハラがかなり減っています。家を出てから何も食べておらず、最初に寄った道後温泉界隈の食べ物屋さんは、観光地時間で11時~14時までの営業と言うことでその時点では食にありつけず、松山駅前もお店が無いという状況です。九度山高麗川での教訓と言うか反省を生かし、古町駅の売店で購入したコチラをとりあえず口にします。

松山駅に戻り食べ物屋さんをちょっと見回し、お店はあることはありましたが、ほぼ満席で結局食べることは出来ず、再び売店でパンを購入します。
JR松山駅を眺めてみます。8年後には高架化されるようなので、この風景も何れは過去帳入りしそうです。

松山駅に併設されている松山運転所を見に行ってみます。
施設内にはまだ古い建物がありました。

転車台も残されていました。

松山運転所を外から眺めたあとは、再び大手町駅へ向かいしばらく平面交差を眺めることにしました。
しばらくすると坊ちゃん列車もやってきましたが、遅れているのかスロットル全開で走っていきました。

松山駅→大手町駅→古町駅とぐるぐる回ります。


こちらは坊ちゃん列車の客車の様です。

松山駅と大手町駅を行ったり来たりして足も疲れてきました。四国と言えば「一六タルト」で会社などへのお土産を買いホテルへ向かうことにしました。

ホテルの部屋からは松山城が見えました。

荷物を置き松山市駅へ向かうと、こちらの方が栄えてました。知らないとは恐ろしいことで、あとで分かったのですが、繁華街は別な場所のようでした。

松山城、夜は感じよくライトアップされていて、松山城を見ながら1日目が終了しました。


つづく