名古屋へ【その4】

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西大垣駅

初めて乗車した養老鉄道ですが、車庫のある西大垣駅まで1駅乗車します。近鉄車に飛び乗り移動しました。西大垣駅はとても趣のある模型向きの駅舎です。

駅前にはタクシーが1台客待ちをしています。が、人っ子一人歩いていません。密回避には良い感じです。

付近は工場街で大きな工場をぐるりと回り、反対側の踏切へ行ってみます。車庫の引上線があり、入換の車両はココへ一旦突っ込んで各番線に振り分けている感じでした。丁度無垢の7700系が入換中でした。

駅へ再び戻ります。良い雰囲気ですねぇ。大切にしてもらいたいです。働いてる人にとっては古くて使いにくいかもしれませんが・・・

駅舎の中も何となく懐かしさを感じます。

木製のラッチとなっていました。ホームで車庫を観察したいと思いましたが、残念ながら列車が来ないときはホームに入ることが出来ませんでした。北陸鉄道と同じ感じで、ちょっと残念です。

列車が来る5分前になると改札内に入れました。構内は中線がある3線構造となっていて、反対側のホームへ行くためには構内踏切を渡って向かいます。

中線は低柱の出発信号機があったり、もう少し観察したかったのですが残念です。

ホーム横にいた7700系が入換で出て行ってしまいました。

検車庫はトミックスの機関庫の屋根と同じような、煙抜きのようなベンチレータの形状をしていました。

列車がやってきてしまいましたが、残念ながら再び近鉄車でした。とにかく2,3分では構内を観察しきれませんでした。個人的にはあと1回終点まで乗り通したらもう乗りに行くことはないと思います。

3分ほどで大垣駅に到着しました。

反対側のホームに7700系が止まっていました。

何となく懐かしさを感じる側面です。

チェックアウトは14時ですが、買い忘れた模型があるためJR大垣駅で帰りの乗車券を購入し、足早に名古屋市内へ戻ります。大垣駅は昭和の終わり頃、18きっぷのヘビーユーザーだった時は乗り換えに忙しく何となくイヤな駅でした。

北鎌倉駅まで購入し、大船駅は途中下車扱いで降りて乗車券を手元に残します。

名古屋へ

新快速で名古屋駅まで戻ります。

日曜日と言うこともありそこそこ乗っていて、この後、米原からの列車が接続したら窓際は全て埋まりました。

稲沢駅を通過するときロクヨンがまたまた沢山見えました。

西枇杷島駅は改良工事が終わっていました。かつては2面4線の模型のような駅でしたが、2面3線の近代的な駅に変わっていました。

かつてはこんな駅でした。

名古屋駅で市営地下鉄に乗り換え、再び矢場町へやってきました。

動くと腹は減るので、ご用達しのCoCo壱番屋で現地限定メニューを頂きます。

この2品は、矢場店限定メニューで赤みそカレーを頂きます。

見本とは若干違います(笑)白い塊では肉ではなく、豆腐です。味噌甘いのでいつも「2辛」にマシマシしていただきます。

-最終回その5へつづく-

養老鉄道

本日は、まだ乗ったことのない養老鉄道へ行ってみました。

残念ながら近鉄車しか乗れませんでした。そして、残念ながら列車がいないときはホームに入れてもらえませんでした。更に、帰路は新幹線特急券の発券間違いで、ひかり号の車掌さんにエラクお世話になり帰宅しました。

奥沢という街

奥沢について

奥沢の由来

住居表示では世田谷区奥沢となり、等々力駅付近までが奥沢となります。その昔、玉川村からみて奥地で沢が入り組んでいたから付いた地名と言われていますが諸説あります。
奥沢に接して、田園調布、自由が丘、緑が丘、等々力とあり高級住宅街の様相を呈しています。奥沢の駅は奥沢3丁目になります。家は高級ではありませんでしたが、ヘッポコ工場長も生まれてからこの地域に何十年も住んでいたため、とても愛着のある地域です。


鉄道としては、奥沢駅が目黒蒲田電鉄創業時から開業しており、当時は工場を備えた車庫が設置されていました。目蒲線時代までは検車区が置かれていましたが、目黒線になってからは留置線のみとなり、近隣にある大井町線の自由が丘と同じような感じです。

街並み

隣接する自由が丘や、緑が丘は道路が碁盤の目状になっており早くから区画整理がされていました。ただ、奥沢は区画整理組合方式ではなく、地主さんが自ら区画整理を実施しました。

高級住宅地の部類に入る奥沢ですが、近年は田園調布と同じように相続の際土地を切り売りして小さな家を建てることが増えてきています。ジオコレの狭小住宅を少し大きくしたような作りの家です。

ジオコレでこんなのも出してもらいたいです。ココも1軒だったところが3軒になっています。

ちょっと離れた場所になりますが、このようなお蔵が残っている家もあります。レイアウトの中で、KATOの住宅でもGMやジオコレのお蔵を組み入れても大丈夫そうです。

勿論周りの家は全て近代仕様です。

奥沢海軍村

奥沢は2丁目を中心として、大正末期から昭和の初めに海軍の軍人さんが多く住み始め奥沢海軍村と呼ばれていました。海軍省のある虎ノ門と軍港の横須賀どちらにも行きやすく、都心より土地の値段が安いというのが理由でした。現在は石碑がひっそりと植わっています。

人が住んでいる家にカメラを向けるのもアレですが、広い敷地に昭和初めの洋館らしい作りの家が今でも残っています。

家は玄関前にポーチが設置されている家が多数あります。

ヘッポコ工場長が子供の頃は、もっと沢山このような家があり同級生の家でこう言う家もありました。この手のガラスは最近の量販サッシ屋さんではウデがなく、職人さんを探すのも大変だそうです。

芸能人・著名人の街

奥沢とその周りの地区も含めて多数の芸能人や著名人、財界人が住んでいます。徒歩圏でかなりのそれらの家を回ることが出来ます。ヘッポコ工場長も同級生の親御さんが芸能人だったり、有名な方だったりしました。
レイアウトの中に、有名人の家を設定してもおもしろいかもしれません。プロトタイプとなっている鉄道があれば、鉄道むすめの家を設定しちゃうとかありかもしれません。

コチラは高田純次さんの家です。ヘッポコ工場長が以前住んでいた家の前で、家族連れで酔っ払っている高田純次さんに話しかけられたことがありました。

事務所を兼ねています。普通に考えれば節税のために自宅は事務所にしちゃいますね。直ぐご近所さんに荒川静香さんの家もあります。

奥沢から徒歩圏内で、コチラは竹内力さんの家です。新築ではありませんが、元々大使館だった住宅を購入されています。

オブジェがスゴイです。

タケウチとローマ字で表札があります。この近くには八代亜紀さんの家やYMOのドラマー高橋幸広さんが以前住んでいた家など沢山芸能人の家があります。

レイアウトに家を並べるだけではなく、1軒1軒にストーリーを持たせると妄想的にも楽しくなりそうです。