マイクロの急行「志賀」は冷房準備車で、これがいつだろうとネコパブ
の「最盛期の国鉄車輌4」を調べてみました。
DCから電車化されて一時期志賀は廃止になった様で、電車急行志賀
として復活したのが昭和44(1969)年10月、冷房改造化による出場
が昭和46(1971)年7月となっているのでこの2ヶ月位前には入場し
ているハズですから・・・この編成では1年ちょっとしか無かったんです
ね(-_-;
そうすると、やっぱりりんごの非冷房車を整備しなければならいない
です。以前D-Trainさんから頂いた(←最近頂き物ばかり)2000系に
もようやく着手です。っと言っても鉄コレだから動力いれて終わりだと
思います。
湯田中駅は以前、スイッチバックしてホームに到着する味のある駅で
したが、今は改装され近代的なホームになってしまいちょっとガッカ
リです。
来月は湘南色169系も動く様で、リバイバル信州号も運転され長野
も少し通わないとダメです。
East-i
今日、我が家から割と近いJR線の鶴見線にEast-iことE491系が
走ると言う事で見に行ってきました。
双頭連結器など近場でじっくり見たかったのですが、そういう場所に
は止まらず・・・走行を撮るので精一杯でした。
▲撮影は南武支線です
この辺の撮影地とかも全くの無知でして、かなりウロウロしてました。
1時間に2本しかない南武支線・・・撮影後は待ってられず、八丁畷
で京急に乗換、鶴見のリトルジャパンを目指します。
しかし、今日は火曜日の定休日でした。すっかり忘れていて、結局
大井町の「イモン」で線路諸標識を買い帰宅しました。
墓参りのまとめ
昨日帰宅しました。
今回の道中は、悪天候によるアクシデントがあったもののほぼ予定箇
所を回る事が出来ました。
初めて乗った北陸は、迷わずB寝台「ソロ」を予約しましたが、富士ぶ
さのソロと比べると非常に狭かったです。
階段が室外にあるためと、荷物置き場が無いためでした。そして何より
コンセントが付いていないのは痛かったです。
▲非常に圧迫感があるソロでした
▲富士の荷物置き場は通路上にあったりして工夫されてましたが・・・
途中停車時間がある駅で反対ホームから撮影しようと思ってましたが、
豪雨による遅延のため停車時分を切りつめられ、結局降りた高岡駅で
1枚撮っただけでした。
行くまであまり知らなかった万葉線という単線の路面も乗ってみたか
ったので、氷見線と万葉線を乗り継ぎ貨物駅へ向かいます。
▲行き帰りの車両は非冷房!窓全開で逆に気持ちよかったです!
能町では見事なだるまさん達に合掌しましたが、程度のいいヤツは再
起できると良いのですが・・・25t機?
▲どこに居たヤツかは素性知らず・・・
かつてあった日本曹達専用線はとっくにブッツリと切られ、毒タキどこ
ろかコンテナもいない構内はまったく寂しい限りで合掌・・・
どことなく、二昔前の相模線相武台下駅に似ている感じがしました。
▲3軸スイッチャはとっく故人になられたのかな?
高岡貨物駅ではコンテナだけの取り扱いですでに時遅し・・・合掌。
▲9月で製紙輸送も終了とか・・・
再び、万葉線に乗り高岡駅から北陸本線で1つ移動して越中大門駅
へ向かいます。デンカセメントの取り降ろし基地が目的でしたが、こち
らも既に鉄道輸送が終了し合掌。
でも、スイッチャが居たのは救いでした。
▲脇をEF81の貨物が通過していきます(2両目のEF81は回送?)
粉体輸送のトラックは頻繁に出入りしてます。恨めしい思いで見つつ
取り降ろし設備を観察です。
▲原油高騰でまた鉄道に戻ったりとかあれば良いのですが・・・
再び北陸本線に乗車して富山駅へ。ます寿司で朝食を摂り高山本線
キハ120に乗車し速星駅へ向かいます。前日、殆ど北陸で寝て無い
ためウトウトと・・・途中の交換駅で原色?のキハ58らしきものと
すれ違いましたが、寝ぼけ眼で写真撮れず・・・そんなのが走っている
ことすら知らなかったです(-_-;
越中八尾行きの高山線は車内がガラガラのまま速星駅に到着。
▲味気ないキハ120・・・
駅員さんが着札回収で待っているので「1周乗車券」を見せて、写真
撮ってる旨を伝えると・・・経由考えてましたが「どうぞ、どうぞ」とニコ
やかに。
構内を見回すと、既に役目を終えた希硝酸輸送のタキ10700と濃硝
酸タキ29100が、奥の方の工場と合わせて10両ほどが解体待ちで
鎮座していて・・・またまた合掌。
▲構内はコキ200等がいてそこそこ活気がありました
スイッチャも2台いましたが、日立の25t機が構内を元気に走り回って
いました。
▲昼飯前にコキを牽いて工場から出てきました
このあと明るい時間にもう1カ所「墓参り」をしたく、越中八尾駅から
「ひだ14号」に乗車し坂祝駅へ向かいます。
▲高山駅はキハ85だらけ・・・乗ったら模型が欲しくなりました(-_-;
前日の寝台で寝られないのが分かっていたため奮発してG車に乗車
します。3列シートで迷わず1列側の運転台前の席を取りましたが、
上り列車は進行方向と逆向きになるのでワイドビューは堪能出来ま
せんでした。
高山本線はじめて乗りましたが、この時期は景色が良いです!秋は
もっと素晴らしい景色になる事でしょう。
▲飛騨古川駅で下車した隣の方は後ろ向きで座ってました
ところが、↑高山駅ではとても天気良かったのに、下呂駅を過ぎる頃
には空は真っ黒です。どしゃ降りになり、遂には焼石駅で「雨量が規
制値を超えたため当駅で運転を見合わせます」っと。
墓参りした先々の涙雨は号泣となり、依然列車は寂しい山の中の駅
で止まったままです。
30分ほどした後、雨が小降りになり「施設係員が点検してます。点検
終了後運転再開します」っと。これまた止まったままです。
更に30分ほどするとカートに乗った施設係員が通過!次の飛騨金
山駅まで約9キロありますが、そこからコレに乗って雨の中点検して
来たようです。その後程なく約80分遅れで運転再開!
▲16時半なのに辺りは真っ暗でブレちゃいました・・・
ということで70分遅れで美濃太田駅に到着し直ぐにやってきた普通
列車に乗換、坂祝駅へ向かいます。
寂しい構内には秩父の10t機しかおらず、太平洋セメント色のスイッ
チャは再就職先へ行ってしまってます。
改めて合掌・・・
▲線路は草ぼうぼうです
宿へのチェックインも80分遅れで到着し翌日へ備えます。
翌日は早朝から四日市を目指し太平洋セメントの専用線へ。バラセ
メントの荷下ろし風景をタップリと堪能。スイッチャの入換をビデオに
撮ったりと1時間ほど観察してました。
▲スイッチャはあと2台いました
続いて前から見たかった「跳開可動橋」を見るため移動してると踏切
の音が・・・走っていくと列車ではなく道路の可動橋が上がりその通行
止めのための踏切が鳴動中でした(-_-;
▲走って後悔でした・・・てか紛らわしいです
こちらが鉄道の可動橋で次回は時間を取り走行風景も見たいです。
次に向かったのは塩浜です。
奥野さんの時刻表を参考にして、移動時刻と丁度重なったため待つ事
数分。北陸製2台接続の15t機がやってきたのは、日通所属のスイッ
チャ。チョコチョコ動き回り5分ほどで戻っていっちゃいました。
▲両機とも同じ番号だったので永久連結仕様?
塩浜駅から近鉄に乗車し近鉄富田駅で三岐鉄道に乗り換えます。向
かうは東藤原駅。
5月に訪問した時は工場が稼働していなく、タキが全く活躍していない
ので悔しい思いをしてました。
▲これも模型が欲しく・・・
入換を撮り終えると既にお昼・・・昼食が摂れる様な場所が全くなく再び
JR経由で四日市駅を目指します。戻ると毒タキがいたのは先日のブ
ログの通りで、その他にスノープローが無いDD51なんかを模型の参
考に観察。
四日市駅北側のヤードも覗きましたが、スイッチャは撮れる場所には
いなくヤードの中に・・・側面が分かりません。
前面の警戒ゼブラは「黄・黒」ではなく「黄・青」の面白い塗り分けでし
た。
▲再度関西線の車内から側面を撮りました
伊勢鉄道に、どうしても乗りたく津駅まで乗車してその後は紀勢線、関
西線は爆睡してました。模型屋の数件まわり宿泊先へ。
昨日最終日は朝から名古屋臨海へ向かいます。奥野さんのブログに
あった坂祝のスイッチャは塗色が変わりましたが結局見えません。画
像を目一杯拡大。
▲2台目の黄色いのが目的だったのに
グルリと回るも草ボウボウ!ろくに撮れず、昭和町まで歩く元気もなく
、三河安城駅から予定より1時間早い「こだま」に乗車して帰宅とな
りました。
帰宅後直ぐにJAMへ。コレを楽しみに待ってます♪
っということで今回のまとめはかなり長くなっちゃいました。
最後までお読み頂きありがとうございました。