中耕地3号その後

先日カチガラスさんより、過去のTMSに中耕地3号踏切道の写真が
出ているとのコメントを頂き、早速図書館でTMS探してきました。
ありました!!
が、載っていたのは廃止間際の中耕地3号でしてヘッポコが製作中の
1961年頃の踏切とちょっと違ってました。中耕地3号は1965年頃に
踏切警報機の更新を行っていまして、残念ながら更新前の写真は載
っていませんでした。
でもキッチリと4基分写真が出ていたので、当面この更新後の踏切タ
イプで製作することにします。
更新後でも警報機は器具箱の上にのる旧タイプの踏切のようで、GM
ストラクチャーにある信号器具箱の上に警報機を乗せます。
中耕地3号
▲GMの器具箱はちょっと小さめでした
どんな踏切かと言うと、ヘッポコ工場長が知ってる限りでは能勢電に
同型の踏切警報機が今でも存在してます。
鋳物で出来た信号器具箱の上に踏切警報機が乗ってます。昭和50
年代前半まで、東急線の踏切ではこのタイプが多く使用されてまして、
目蒲、池上線などでは平成に入る少し前まで存在してました。形状は
ちょっとアメリカちっくです。
能勢電踏切1
▲能勢電の沿線にはまだかなり残ってます
この踏切の遮断機構は腕木式構造で、保守が大変なためさすがに遮
断機部分は既に撤去され、別に踏切遮断機が設置されていました。
能勢電踏切2
▲器具箱の銘板は昭和43年9月製造となってました

“中耕地3号その後” への3件の返信

  1. ありゃ!新しいタイプの写真でしたか(^^;)。失礼しました。
    能勢電には今もこのタイプの踏切が残っているんですね。
    私事ながらかつて阪急箕面線沿線に住んでいたことがあるもので、踏切を求めて行ってみたくなりました。

  2. >カチガラスさん
    いえいえ!とんでもありません。
    4基載っていたのはこのTMSだけでしたし、何より踏切注意柵の位置関係が掴めました。
    この時代でも良いのですが、1961年頃と晩年では上家が若干違っていたりでして。
    ありがとうございました。
    >おきコレさん
    何気なく見ていても気にしないと気にならないんです。
    部分的に拘っても全体的なバランスが悪くて・・・
    それにおきコレさんのように工作が早くないのが難点です(-_-;

おきコレ へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です