つかささんより「そろそろ米タンのタキ38000も危ないッスよ」と先日話
を聞きまして、まだ記録していないタキ38000を見に行ってきました。
数年前に行ったその時の写真と比較してみます。
向かうに際し、乗った東海道線がクロスシート車で、珍しくボックスに
座れたため横浜駅で乗り換えず、一旦新橋駅まで行きました。
鶴見駅中間改札口で発券される緑地紋の乗車券が欲しく、わざと乗
越しになる乗車券を購入して戻りました。
鶴見線に乗る事10分ほどで安善駅に到着しました。
安善駅前の踏切から構内を見た写真ですが、右側にタキ1000の米
タンが見えます。
こちらは5年前ですがさほど変わりません。
安善駅から奥にある昔の浜安善駅方面へ歩いていきます。5年前に
はまだあった浜安善駅の駅本屋が無くなっていました。
こちらが5年前で、この時側線の途中に第4種の車止めが設置された
ばかりで車止めは新しく、うしろの道路上にはまだレールが残ってま
す。
駅名板には東京南鉄道管理局と書かれていました。
浜安善駅構内にはクム8000が留置されていましたが、先日行った
時にはありませんでした。
さて、今回の米タンは一番海沿いの油槽所から搬出されまして、安善
通りを係員さんが自動車などを止めてから横切っていきます。
踏切らしくありませんが、「日石カルテックス踏切」のプレートがありま
した。
踏切の係員さんを最後尾に乗せたりする関係で一旦停止もあり、速
度も低く小走りで追いつく程度です。
安善駅へ戻っていきました。
拝島からの定期貨物列車の到着に合わせ、入換開始です。
引き上げ線からの引き出しは定期で牽引してきたカマがそのまま持っ
て行きます。
5年前はEF64が牽引していました。
貨車はタキ35000から38000になりました。
そして、今度はタキ38000からタキ1000になろうとしてます。
遠くに見えたタキ1000。これもきれいなウチにに撮っておきたいです。
鉄コレ62系-その2-
この2日間ほどホビダスブログがメンテナンスのため、ブログの新規
書き込みが出来ませんでした。グラウト環境へ移行?
ヘッポコにはさっぱり分かりませんが、書き込みのストレスが軽減さ
れるでしょうか・・・
さて、62系はとりあえず中間車だけ塗ってみました。ドア周りの彫り
が深く若干吹き込んでしまいました。
乙女坂駅界隈
まるで少女漫画にでも出てきそうな名前の乙女坂駅ですが、実際には
殺伐としている貨物駅です。
写真中央部付近が乙女坂駅です。線路をまたぐベルコンやパイプ、
そして脇のホッパーが何とも言えません。
上の写真から180度後を向いた所でして、コチラは猿岩駅になります。
左の黄色○のある辺りが乙女坂駅と猿岩駅の境界と思われます。
この付近はホッパー施設より貨物ホーム形式の積み込み設備跡が多
く、当時出入りしていた西濃の有蓋車や国鉄の「テム」などが袋詰め
製品の出荷に利用されていたのでしょうか。
ホームは倉庫の棟毎に独立していて棟毎全て会社が異なってます。
現在も倉庫として利用されているようで、中には袋詰めの製品が山積
みされていました。
こちらは猿岩駅の最遠部で、ホッパー施設が残ってました。
上の写真から180度後を向いて少し進んだ場所で、この付近から市
橋駅になると思われます。この付近ではレールが撤去され軌道敷き
は舗装されて構内道路になってました。
この先は草むした敷地が広がるだけで夏はなんだか分かりません。
RMライブラリー99号によると、美濃赤坂-乙女坂-猿岩-市橋
の順に駅があり、猿岩-市橋間は廃止のようです。
ちなみに、袋詰め製品は今も有るようで、美濃赤坂駅の貨物ホームに
うずたかく積まれていて、コンテナにより運搬されているようです。
付近の道路は石灰粉で白くなってまして、丁度「石灰組合」とレタリン
グされた散水車が通過していきました。定期的に撒かれていのかと思
われます。
かつての東武鉄道葛生駅の先も石灰業者の貨物側線が入り乱れて
ましたが、ここも5社くらい看板がありました。
もうこの付近だけで1時間以上観察してましたが、次は昼飯線の方へ
移動し、美濃大久保駅へ向かいました。こちらも夏草が生い茂りちょっ
となんだか分かりません。
乙女坂駅付近で時間を取りすぎてしまい、昼飯駅へは向かいません
でした。
秩父鉄道の石灰石積み込み場とはまた違った魅力タップリの西濃鉄
道です。モジュール製作にはかなり鼻血モノの刺激でした(^^)
ちなみに・・・漫画に出てきそうな乙女坂のイメージはこのくらいです。