藤棚

一番気になる部分の着手です。自分でもどうなる事やらと・・・
結果的に屋根はあと1ミリくらい角度が付く様にすれば良かったんで
すが、ココまで来るともう1度やる気にはならず、次回作への課題です。
藤棚
組み立ててる時は目が痛くなるくらいなんですが、写真に撮ると柱の
太さがさすがに気になります。実物を換算すると1.2ミリの角材にな
るのですが、既製品が1.5ミリしか無かったためそのまま組みました
がこの辺も次回への課題です。
さてさて、今日は目黒の「さつき会館」で行われていた軽便祭りへ行っ
てきました。
軽便
イベントページをたてる元気が無いのでブログでの横着バージョンで
す。
こちらのイベントページにレポート載せました.

早速手直し

いつも通り、検討をロクにせず製作してるため製作中に気になる事が
出てきまして、手直しを。
斜め道路に対して線路と民家が平行している単調さが気になり始め、
お手軽で行こうと思っていましたが実物に近づけるべく手前の民家を
斜めにすることに。
民家
▲実物の民家.手前が多摩堤通りで右側が吉沢駅跡地.
このお宅の線路側の塀は砧線が走っていた頃のままで、当時の写真と
同じ塀です。昭和43年頃このお宅は2階建てになった模様.
モジュール
▲街コレを流用しているため、道路側が太ってますがその辺は・・・
土台をバルサにしたため、プラスターがガッチリかんでおりカッターで
地面剥がしをした後、民家自体にも若干角度を持たせ斜めに接着し直
しました.でも、実物の様に鋭角な角度を付ける事は出来ませんが手
前に路地を持ってくる事が出来そうです。
ホームの高さを見るため、購入後一度も箱から出していなかったデハ
80形が登場♪砧線はデハ60形しか入線してませんでしたが、製品が
出ていないので代用ということで。
ちなみに、リトルジャパンの購入検査標の日付が2004/09/19というこ
とで、買ってから3年後に漸くシャバへ出てきたデハ80くんです♪
吉沢駅模型
▲このアングルの現在地が↓です
吉沢駅跡
▲画面奥の信号が多摩堤通り.歩道内マンホールのある所に画面
 左右方向へ今でも水路があります

水路
▲現在の水路.当時は農業用と思われますが、現在は暗渠になり
 都市河川になってます.

ついでに中耕地3号踏切のあった多摩堤通りの様子です。当時の道
路幅員のままでして、当時から相当広い道路を形成していた事になり
ます。
中耕地3号現在
▲右から車が出てきた辺りが線路敷で,左側が吉沢駅のあった場所.
中耕地3号模型
▲もう完成した気分で妄想の世界です.(バスはD-Trainさんから頂
 きました)

やまだたにさんの仰るとおりで、こういう事をやっていると先に進まな
いんですよね・・・(^^)
現地調査の帰りにはお約束「玉電に出会える店 SOVA処 大勝庵」
にて食事をしました.店内には、70形の運転台をはじめ玉電関係の
ものの他に、吉沢駅周辺の当時の写真や航空写真まで飾ってあり大
いに参考になりました♪
大勝庵

工作の秋

ここ数日涼しく過ごせる日が続いていて、模型製作が捗る・・・ハズです。
今日は午前中で仕事が終わってしまったので、午後から製作開始♪
当工場の塗装場は屋外なので、こういう陽気だと塗装なんかも進みま
す。踏切の製作をと・・・以前買ったはずの踏切が見あたらず、リトル
ジャパンへ。どこへ仕舞ったんだろう?
工作したもの
▲手前の家の門を塗装.踏切はこれから製作開始.
昔の東急線の踏切は、遮断機が今の様な細っこいヤツではなくゴッ
ツイ器具箱の後ろからニョッキリ遮断桿が出ているタイプでした。昭和
52年くらいまでは殆どこの形でして、吉沢駅前の踏切もこの旧タイプ
でした。再現すべく遮断機を製作開始です。
踏切警報機本体も昔は器具箱の上にゴッツく乗っかっていたりして、こ
ちらも昭和50年代前半に無くなってしまい、そのゴッツイ器具箱も東急
線にはもう何個も残ってません。