新幹線50周年

今日で東海道新幹線が走り出してから50周年だそうです。新幹線は結構すきで、一時期HOに転向した時は新幹線だけ残して全て売却したほどです。ッと言っても、好きなのは300系までで最近の700系にはあまり興味がありません。

0系は最初特に興味ありませんでしたが一番バリエーションがありましたね。一番の印象はグリーン車の乗降ドアのフチが金色だったことで、豪華さが出ていました。まだその頃新幹線の形式を撮ろうという気にはならなかったことを後悔しました。

終焉が近づくとようやくカメラを持ち出すようになりましたが、写真はどれもイマイチです。新幹線が0系だけの頃は新幹線の代名詞として精悍なイメージでしたが、100系が出てくると愛くるしい顔つきに見えてきました。

東海道新幹線0系末期は2&2シートなどというのも出てきました。時代はバブルでしたね~!国民のパワーはスピードを求めて、ひかりへシフトしこだまの客離れを防ぐため、海側も2人掛け座席としてゆとりを宣伝してました。ドア横のオレンジと白のロゴが2&2シートのロゴで、号車札がオレンジ色になっていました。

国鉄末期、100系が出てきて2階建て新幹線には度肝を抜かされました。更にJR化後に出た西のグランドひかりの2階建て4両は間近で見ると圧巻でした。100系になると色々写真も撮り始めました。製作中の149形。

製作中の100系先頭車。

100系中間車。

125形の妻。

とにかく2階建てG車が大好きでした。コチラは148形。

お気に入りは食堂車ナシのG編成148、149形の8、9号車1A、14A、5Dの座席で、出かける時はいつもこの座席を指定していました。2階の細長い窓は明かり取りですがバブリーな感じです。1階の小窓は個室ではなく、廊下側の明かり取り窓です。
食堂車のあるX編成のG車は結構早く座席が売り切れてしまい、食堂車で一度食事をしたかったのですが、夢が叶う前に廃車になってしまいました。

1A座席横から撮影した2階G車の室内です。1A、14Aは1人掛けの座席で人気がありすぐに売り切れてしまいました。細長い窓は階段覆いで、雑誌などが置かれていました。
階段があるためワゴン販売は無く、その代わり新幹線パーサーがメニューを持ち各座席に注文を取りに来て、カフェテリアから食事を届けてくれるサービスでした。時代にガッツがあったせいかとても優雅な空間に感じました。

今の新幹線だってとても快適ですし、移動になくてはならない列車です。日本人はスゴイモノをつくったなぁと熟々感じます。リニアが出来ると開発が衰退しちゃうのかと懸念してますが、これからも新幹線の旅は楽しみたいと思います。

“新幹線50周年” への6件の返信

  1. 鉄ちゃんになった時期が、ちょうど「グランドひかり」が登場した頃で、私にとっては東海道新幹線と言えば、0系よりは100系でしたね。
    100系の食堂車は、高級ホテル系列でありながら、そこそこのお値段だったので、何度か行ったことがあります。ヘッポコ先生が食堂車に行ったことがないというのが意外でしたが(スミマセン)。
    100系のグリーン車も快適でしたね。おまけに、グリーン車に乗るときは、大抵は、帰省先から戻る急行「だいせん」の普通車指定席(注:12系客車のボックスシート)からの乗り継ぎなので、雲泥の差に病みつきになりました(笑)。
    最近の東海道新幹線はどうも好きになれないのですが、やはり50年という歴史に目を見張るものがありますね。リニアに負けずに走り続けてもらいたいものです。

    1. >椋岡成美さん
      100系は色々な面でバブルの象徴でもありましたね。
      食堂車での食事スゴクうらやましいです。味は賛否両論ありましたがね(^^;
      だいせんも懐かしいですね!12系ボックスからではホント雲泥の差ですねぇ。

  2. 0系は夢の超特急ですね。大窓が好きです。
    当時西へ行くには貧乏人の我が家は必ず小田原か熱海に出てから「こだま」に乗ってからどこかに行っていました。また座る席は禁煙の自由席なので編成の端っこだったので食堂車など縁遠い物でした。
    新横浜乗り換えなど論外でした。新横浜や東京乗り換えが実現したのは社会人になってからです。
    なにはともあれ新幹線と言ったら東海道新幹線ですね。

    1. >マーボー堂師匠
      夢の超特急って言葉最近聞かなくなりましたが、当時はまさにそうでしたね。
      師匠の家からだとたしかに小田原でちゃいますね。私も今は小田原ユーザーです。
      現在は各社に新幹線ありますが、やはり新幹線の代名詞は東海道新幹線をさしますね。

  3. 今晩はGです。
    新幹線と云う在来線とは異なる鉄道システムが実際に走り出して半世紀なんて、最近JR自体が開業何十年とやらをアピールしだしたこともあり、何れ50年、100年と続くんだろうな、程度の感慨でしたが。
    当初の目的としては、東海道線の輸送力の増強の一環で構想が始まった新幹線計画も出来て見て、その利便性に旧国鉄時代の内外の人々から好くも悪くも注目されて、おらが町にも新幹線鉄道を、みたいになってしまい、本来の輸送力の向上などそっちのけみたいな感じですね。
    皆様も云われます様に、東海道区間での新幹線がその象徴でしょうか。自分もそのとおりだと感じています。
    今後はこの区間における利便性をどうされるのか?リニア開業後はそう云った部分がどのように重要視されるのかが利用するサイドとしては気にしたい処でしょうか。
    下らない御話、御容赦。

    1. >G13型電車さん
      100周年の時には、東海道新幹線はリニアに間違い無く座を奪われている気がします。東海のCMもリニアだらけになるんでしょうね。

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