あの頃の品川-その2-

勝手にシリーズにしてますが、今回は新幹線です。ッと言っても当時は新幹線に品川駅はなく、構想が具体化するのはこの数年後でした。
小窓ばかりがずらりと並ぶ0系(当時は0系しかありませんでしたが)がやってきたので在来線ホームからシャッターを切ります。新幹線の向こう側にある工場の様な建物が、当時の東京第一運転所の仕業交検庫で中は6線あり、全体では20番線まで有する広大な基地でした。更に奥に見える茶色っぽいビルは総局東一運の事務所です。

当時は乗降場設備は無く、東一運信号所という分岐点が存在するだけでしたが、異常時折り返しや増発を見込み現在の新幹線品川駅が誕生しました。ただ、当初の目論見とは異なり現在営業列車は、初電の「のぞみ99号」のみとなっています。

一番上の写真と同じアングルで撮ろうとすると現在工事中の臨時ホームが入るため、12番線からの撮影となりましたが、遮音壁のようなモノができてしまい現在は新幹線を見ることは出来ません。また当時はここから基地への出入庫線の関係で上り勾配でしたが、基地が無くなったのと乗降場があるため勾配は無くなっています。
当時の基地は道路やオフィスビル、ホテルになってしまいました。

この写真を見ると高田みづえの「そんなヒロシに騙されて」が何故か頭の中で流れます。この時、撮影しながらも頭の中で流れていました。調べたら1983年8月リリースなのでまさに昭和58年です。新曲聞いてよっぽど気に入っていた曲だったようですが、ヘッポコ工場長の名前は「ヒロシ」ではありません・・・

非扱い間もなく終了?

東急大井町線には土地柄というか線形というか、ホームが短く電車がはみ出て止まる駅が2カ所もあります。そのうちの一つ戸越公園駅は踏切が移設し、ホーム延伸工事も始まり間もなく非扱いが解消されそうです。

ホーム両側が踏切に挟まれていたため、5両編成の列車に対しホーム有効長は3両分しかありませんでした。
用地買収など解決したようで踏切の移設が完了しました。下の図で赤い部分が廃止道路で、青い部分が代替え道路です。

ホームの延伸工事中です。

上り線側には踏切注意柵がまだ残っていました。


車掌さん専用の小さいホームはやがて旅客にも開放される部分になると思われます。

水島・瀬野への旅-前編-

サンライズに乗りたいと思いつつ数年が経ち、前々から行きたかった水島臨海を絡めて、サンライズ乗車計画を立てました。
サンライズはシングルツインを取っていましたが、周りの人がみな口を揃えて「サンライズはシングルデラックスに限る!」っと言うので、東京駅で乗車変更を行いシングルデラックスで向かう事にしました。

サンライズは女性客が多いのに驚きました。高速バスに比べれば高いと思いますが、安心を買ったのでしょうかね。
早速車内に入ります。電子ロックのキーで重厚な感じが漂います。

室内に入ると「お~っ!」っと、うなってしまいました。

室内も広く、ベッドも広いです。

乗車すると、すぐに車掌さんが検札を兼ねてシャワーカードとアメニティグッズをもってやってきました。アメニティグッズとシャワーカードはA寝台系ではデフォルトで付いています。

サンライズ乗りたいという気持ちだけでよく勉強せずにきましたが、この車両にはA寝台専用のシャワールームがあり、カード1枚で6分間シャワーが使用できます。早速シャワーへ。

軽く食事を済ませて睡眠・・・
広い寝台と静かな車内で富士駅を出る頃記憶が遠のきました。静岡駅では停車したときにちょっと目は開きましたが、心地よさにまたすぐ眠りに・・・目が覚めると六甲道駅付近で夜が明けてきました。サンライズは日が長い時期に乗った方がいい感じです。

改めて室内を見るとやはり広いです。

夜が明けてから再度車内探索へ。深夜は宴会をやっていましたが、朝は誰も居ませんでした。

さてさて、サンライズは倉敷駅まで乗車しても良かったのですが岡山駅にどうしても寄りたく岡山駅で下車しました。皆さん分割シーンを撮影してました。かつての「ふじぶさ」の門司駅を思い出します。

山陽本線だと目的のキハに間に合わなくなるため、伯備線の列車で倉敷駅へ。

水島臨海鉄道の倉敷市駅へ向かいます。

駅の上が駅ビルではなく、駐輪場になっている駅です。

ホームは薄暗いです。

車止標識は行灯式でした。列車停止位置標識の建植位置は、絶対に違うと思います。

-つづく-