ぐるっと名古屋-最終回-

美濃赤坂駅で2時間ほどうろうろしたあと、名古屋に戻りあおなみ線へ乗車し金城ふ頭駅前にあるJR東海のリニア館へ向かいます。

名古屋駅-金城ふ頭駅間約25分で途中コンテナヤードなどを眺めながら飽きずに終点に到着。景色的にはゆりかもな感じでした。
駅前にあるリニア館へ入場料1000円を払い早速入ります!

印象的には・・・ただ置いてある感じでした。



な・・・感じです。大宮のてっぱくと比べるとただ置いてあるという感じが否めませんでした。
東海以外では太多線の前身で使用されていた軽便機関車が屋外にありました。ケ90だそうですが・・・走れケー100!を思い出してしまいました。

ジオラマ模型を見に行こうかと思い行きますと・・・定員制を採用で並べばゆっくり見られるそうです。空いていても入れてもらえないようです。

並ばないとリボンより奥へ行けません。結構ガッカリなお子さんが多かったです。ヘッポコもガッカリでした・・・

こんな感じで30分くらいでリニア館を後にし、宿のあるSKEな街でひつまぶしを食べて宿に戻りました。

さて、滞在3日目となる最終日は子供の頃から行きたかった北野桝塚駅へ向かいます。北野桝塚駅と聞いてわかる方は貨物好きですね。
幼稚園の頃親に買ってもらったこの保育社のカラーブックスですが、今ではボロボロになってます。この本に載っていた北野桝塚駅にあるトヨタ自動車の輸送基地にク5000が並んでいて、大人になったら見に行きたいと思っていた場所の一つでした。

またまた名古屋モーニングを食べ、東海道線に乗り岡崎駅で乗り換えて北野桝塚駅へ向かいます。以前は岡多線でしたが、今は愛知環状鉄道線になってます。

土曜日のせいか車内は結構空いてましたが、無人駅も多く車掌さんは検札にきたり集札したりで走り回ってました。
単線区間が多く交換待ちなどがありましたが、15分少々で到着しました。
現在は愛知環状の検修設備のある車庫になっていますが、かつてはク5000が置いてある側線だったはずです。

北野桝塚駅から見た車庫側で左の線路がかつての専用線とつながっていたのかなぁ?っと想像します。

ここからトヨタ自動車の工場まで2キロ近く炎天下の中歩いて行きました。が、来たかいがありました。ちょっとだけ専用線が残っていました。
よく見るとまだ路盤とレールが残っていて感激です。当時を肌で感じる事ができました。

RMライブラリーによれば、ここにあったヤードはトヨタ自動車の上郷貨車センターとか言うそうで、かつてのヤードには現在建物が出来てます。
どんな場所かというと、コチラの本にも載っています。保育社のはおそらく照明灯の上から撮影したと思われますが、広大な土地とク5000が壮観です。コチラからも見られると思います。
当然時代は変わりク5000どころか貨物輸送もなくなり、子供の頃の夢は叶いませんでしたが、訪れる事ができ専用線の遺構も発見でき感激でした。
おなかいっぱいになり帰路につきますが、北野桝塚駅まで戻るのは結構大変なので、比較的近い三河上郷駅から帰る事にします。

ここまで来たら、三河安城駅からこだまで帰るのが一番手っ取り早いのですが、エクスプレスカードのグリーンポイントがかなり残っていたため敢えて名古屋まで戻り、小田原停車のひかりで帰ることにしました。
これでも昨年度のポイントは使い切れず、もったいなく無効となったポイントがありました・・・
新幹線利用時、大船駅までだと新横浜駅経由と小田原駅経由では5分と変わりません。しかも、東神奈川駅で乗り換え、混雑している横浜駅を荷物抱えて更に乗り換えるのも抵抗があります。
なので小田原駅から東海道線のG車でゆったり・・・っと考えますが、小田原駅到着後15分程で踊り子号がやってくるのでコチラで帰る事にしました。在来のG車は網棚もないですし。踊り子号利用なら断然小田原駅乗り換えの方が大船駅に早く着きます。
やってきたのはリバイバルカラーでは無く、現行のブロックカラーでした。

25分程の乗車ですが、小田原駅を出発すると次の停車駅は大船駅で、ノンストップです。

大船駅に定時無事到着し、改札口で1周乗車券に無効印を押してもらい無事に帰宅しました。
次は南紀に乗って、鵜殿に行きたいなぁ。

長々お読み頂ありがとうございました。

“ぐるっと名古屋-最終回-” への10件の返信

  1. こんばんは~。
    リニア館は、館内は整然としていますが、「とりあえず車両を集めました」みたいな感じがしてしまいますね…。奥に押し込まれている収蔵車両こそ、じっくり見てみたいと思いました(特にモハ63など、大変な手間をかけて復元されたものも少なくなく…)。レイアウトのコーナーは、私の場合閉館時刻直前に行ったら間近で自由に見られましたけど、今はダメなのかな?
    北野桝塚のヤードは今はきれいに片づけられちゃったんですね。私もあの写真を見て感動したクチです。
    鵜殿は仕事でよく行っていましたので、ご案内しましょうか~?
    最終南紀で新宮で1泊、朝一で鵜殿に行くと幸せになれます(笑)

    1. >ヤマシタさん
      こんばんはー。ヤマシタさんの63絶賛の影響を受けて行きたくなったのでした。まさに、とりあえず的な展示にちょっとガッカリで、63もクモハ12の辺りに置いて欲しかったですねぇ。
      えーっ!レイアウトそうだったんですかぁ。あれだけ見にもう一度行ってみようか考え中です。
      北野桝塚のヤードそのものは面影ありませんでしたが、ヤマシタさんもその世代ですもんね(笑)あれ見て感動しないのは貨物ファンではありませんね。
      鵜殿に仕事で行けるなんてうらやましいです。どうやっても一日がかりになってしまいますが、やはり新宮で1泊ですかぁ。最終だと景色見られないので昼間着で計画中です。

  2.  (その2のお返事から…)拙者が乗車した「ちくま」は20系+12系(の12系のほう)。牽引はEF64の3号機だったかと…。昭和59年夏のことでした。
     いつの間にかグレイドアップしてる愛知環状の電車ですが、一方でトヨタ専用線は夢の跡…。そう云えば「輪番稼働」の影響で「ロングパスEXP」も木金休み、土日運行とか…。
     ボリューム満点の「ぐるっと名古屋」、お疲れさまでした!

    1. >Eはみ猫さん
      こんにちは。寝台では無くハザに乗車されたんですね。とはいっても12系も骨董品ですからいい思い出ですね。
      愛知環状の車両以前はなんでしたか?113の岡多線のイメージしかあたまにありません(^^;
      ショボイ旅行記におつきあいありがとうございました。

  3. モデラー様お帰りなさい!
    炎天下での収穫良かったですね。
    路盤とレール少しでも残ってると何故か嬉しいです。
    こういったもの私も大好きです。
    リニア館、写真最高にカッコいいです・・・が実際は只置いてある感じなのはガッカリですね。
    でも一度は行きたい所です。
    185系踊り子、前日旧塗装になったようで、何か期待してます。

    1. >D-Trainさん
      こんにちは。トワイライトな雑誌とか見ていれば残っているの出ていたかもしれませんが、あまり下調べせず行くのが好きでして、残っていてうれしかったです。
      リニア館は正直一度行けばいいかな?っと言った感想でした。
      これからは踊り子撮影にチャレンジしたいです。

  4.  今日は。Gです。
     久方ぶりの大旅行とのことで関西ではなく中京地区とのことで。
     当方も仕事の都合で昨年まで中京地区に都合10年弱居りましたが愛環も久方振りに様子が伺えましたね。
     愛環の現行車両(現行は2000系)は、100形(Mc)200形(Tc)300形(cMc)の三車種でしたね。
     旧国鉄101系の主電動機なんやらの機器を流用しつつ、台車は新製のボルスタレスエアサス台車(DT50系似です)で、通称トリコロールカラーと称した、アイボリー地に濃いブルーとレッドの帯の車両でした。
     今、大半がえちぜん鉄道に云った奴です。
     確か鉄コレにもなりましたよね。
     三セク以前ですと、旅客開始当初は神領区の70系(これもモデルとしては鉄コレになりましたよねえ)4両、その後113系4両で、三セク直前は大垣区の165系3両でしたね。
     これと云った特徴は無い車両でしたからねぇ。印象が薄いかと。
     今後も旅行記楽しみにしております。
     毎度の余計な御節介失礼致しました。

    1. >G13型電車さん
      こんばんは。関西はEF65-0をはじめ、興味対象の国鉄がなくなり貨物の面白い中京地区に足が向くようになりました。
      愛環の車両がえちぜんへ譲渡されていたんですか。愛環自体私の記憶の中では113系の岡多線で止まっていますから今回は浦島太郎状態でした。

  5.  今晩は。
     送信致しました文章が誤字だらけでしたね・・・(汗)。
     貴殿御記憶の「岡多線」時代ですと、今回御乗車された区間(岡崎~新豊田間)だけでしたね。70系から113系(当時は最新の2000代)が投入されて新性能化された筈ですね。
     その後、民営化前に飯田線から165系の3連が大垣区に入ったのを閑散線区の編成効率化名目で113系から置き換わって、三セク化まで運用されていました。
     三セク化後が、先述致しました100形系列での運用となります。
     この車両、101系の機器流用車両で主電動機がMT46A、戸閉機械がTK6、主観制御器、ブレーキ弁と使えるものは流用しており車体と台車、主制御器(1M運用車となったため)は新製されています。三セク前後に作られたものが大半でしたがその後に輸送需要が伸び始めた際に両運転台車(300形)2両を92年になって、増備するなど以外な履歴の持ち主でもあります。
     また貴殿の思い出の当時には無かった、新豊田~高蔵寺(本来は瀬戸市付近からは多治見に抜ける別ルート計画でしたが、今の東海交通事業城北線の計画段階のルート、枇杷島~勝川~高蔵寺~瀬戸市間の一部である瀬戸市~高蔵寺を利用)間も仲々見どころのある区間ですので、一度お試しあれ。
     重箱の隅突きが失礼致しました。

    1. >G13型電車さん
      こんにちは。末期は165系でしたか。いつ通っても113系で運転間隔は大きくなかなかガキでは近寄りがたい路線でした。
      城北線も乗りに行きたいんですよね。あそもこ間隔が大きく未だに乗れてません。

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