寝台の思い出-はやたま-

どうにもこの頃から関西方面にチョロチョロと・・・
冬休みで紀伊に乗車後、情報提供者である同級生でお父さんが国鉄
マンのお家へお土産持って遊びに行きました。
「10系寝台も乗ってくれば良かったなぁ?来月であれも終わりだよ」と
は、非番で昼間家にいたお父さん。10系寝台はGMキットのカタログ
でしたか見た事無い・・・乗ってみたい・・・お年玉シーズン♪周りの心
配をよそに、早速翌週再度関西へ・・・
さて、その10系寝台の件とは天王寺から亀山まで行く普通列車!に、
天王寺-新宮間のみ寝台車が連結されるという列車で、普通列車にも
かかわらず「はやたま」という列車愛称名がついてました。寝台2泊は
キツイので新幹線で向かったと記憶してます。
環状線を乗り継ぎ始発となる天王寺駅へ向かいます。
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▲くろしおの回送.左はキハ58の編成,右は非冷房の103系.
天王寺駅でショボイ写真を撮ったり駅構内をウロウロしていると、やが
てホームに郵便荷物車+雑客3両+オハネフ12 2079というお目
当ての「はやたま」がやってきました。
天王寺
▲廃止1ヶ月を切っているのに撮る人は疎ら
14系寝台で目が肥えたヘッポコには、ボロ寝台としか目に映りません
でした。寝台は上段で幅は50センチほどで横になるといっぱいの幅で
す。車体もかなりくたびれてます。
しかし、10系寝台を初めて見て感激をしたのは言うまでもありません。
はやたま
▲今でも,走るんだったら乗りに行きたいです!
寝台も狭く、上段は窓もなく、駅に着くと何度となく降りて写真を撮って
ました。乗降用のドアは自動ではなく、走行中でも開いてしまう手動!
しかも最後部は、↑の様に転落防止のチェーンがあるだけ。のんびり
してました。寝台は名残乗車でそこそこ乗ってましたが、ハザの客車
は1両に5~6人だけです。
オハネフ12
どのくらい乗った事か、漸く夜が明けてきましたが1月は寒い。暗くて
写真もあまり撮る気にはならず、新宮でオハネフ12は切り離しとなり
普通車へ移動です。
単線なので行き違いで止まると10分以上止まっていた記憶がありま
す。久鬼駅では、DD51重連の貨物列車が旅客車をかわし、ノンスト
ップで通過してきました。
寒いので車内からの横着撮影ですが、今は窓すら開かないですから
ね。
久鬼
▲長時間停車に名残乗車の人たちも降りてました
車掌車
▲車掌車も懐かしいです
こちらの写真は別の駅だったか・・・寒い窓を開け、前方を覗き込むと
交換待ちに合わせ、小手荷物の積み卸しをしてました。こんな光景は
当たり前でしたが、今思うと風情があったように思います。
いつの間にか見掛けなくなりました。
積み卸し
▲宅急便はまだまだの時代,当たり前の光景でした.
出発監視
▲発車後も車掌さんは側開戸あけて出発監視中です
同じ景色&狭い寝台とのんびり普通列車で疲れがたたり眠っていま
して、松坂で下車し名松線で伊勢奥津へ。平気で線路に降りて写真
撮ってましたが怒られる事はありませんでした。
名松線
▲キハ58+キハ30の2両編成
その後キハ40だっけな?に乗車し、ラキこさんの地元日本一短い駅
名に感激して駅名板をいれて撮った津駅。
津
▲ガキのセンス・・・
津駅からは、四日市行きに乗り継ぎ、最終的には名古屋から新幹線
での帰宅となりました。
四日市?
▲多分四日市だと思いますがとにかく大好きだったキハ35系!
ヘッポコ工場長にとって10系寝台に乗車したのはこの時が最初で最
後でして、「はやたま」は、この数週間後1984年1月いっぱいで寝台
車の連結をやめました。